大垣山岳協会

続 私の書棚・山書紹介②

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2024年4月(No.509)

深田久彌 山の文学全集 (2)
著者 深田久彌  発行所 朝日新聞社

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 世界最高峰だけあって、深田はエベレストについて第4登までを詳細に書いている。

 1852年、測量の計算結果よりエベレストが世界最高峰だと分かる時より話が始まる。その値は8840m。現在は8848mだが、大気の屈折などで8mはその当時誤差の範囲内だろう。何十キロも離れた人跡未踏の山の高さがどうしてかくも正確に分かるのだろう。興味のある所だがそれは別の機会に語るとして、日本ではその1年後に黒船が浦賀に来て幕末の動乱が始まる頃である。その時期に欧米では素晴らしい測量機器と測量技術があったということである。

 現地で山の名前が分からないので、例外的に前インド測量局長官エベレスト卿の名前が付けられた。深田の言を借りれば「それから数十年たってから、この山にチョモルンマという歴としたチベット名前が昔からあることがわかった。」

 エベレストへの挑戦は近代登山発祥の国イギリスが手を挙げた。1921年、最初の偵察隊が派遣され、チベットの許可をとり北面から入った。その時の主役は鉄人マロリーで、彼はノース・コル(7020m)に達し、頂上へのルートを見定めた。彼は翌年の登山隊にも参加し、人類で初めて8000mを超え無酸素で8225mまで登った。

 1924年の第三次にもマロリーは参加する。ノース・コルで遭難騒ぎがあり、その救出活動の疲労のためマロリー達の第1次アタック隊は途中で引き返す。入れ替わりに登った第2次アタック隊は無酸素で何と8572mまで達した。最初に8000m峰が登頂されるのは1950年のフランス隊によるアンナプルナ(8061m)だが、その26年前に世界第3位のカンチェンジュンガ(8598m)に匹敵する高さまで達していたのである。

(続く)


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深田久彌 山の文学全集 (2)  著者 深田久彌  発行所 朝日新聞社

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