大垣山岳協会

能郷白山神社奥の院のこと

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2014年3月(No.388)

能郷白山神社奥の院のこと 鈴木 正昭

 個人山行の磯倉登山に参加した会員から、能郷白山山頂部にある能郷白山神社の奥の院の消息を聞いた。深い雪の中に揺るぎない堅固な姿を見せていたと。(写真①は09年5月)

写真① 能郷白山神社奥の院(2019年5月撮影)

 私は07年4月に同じコースで磯倉に登った際に奥の院を見た。半ば、倒壊した哀れな姿だった。前年秋の台風の強風の仕業だった。後日、能郷集落の住人、葉名尻義一さんに聞き、翌年の秋に立派に再建されたことを知った。以後、自分の目で再建後の社を見届けたいと思いつつ果たせていない。

 同神社は白山の開祖、泰澄大師が能郷白山の山頂に開いたと伝えられる。起源の地は山頂であった。その後、山麓の能郷集落に本社を移した後、奥の院として小規模な社が建てられ、20年に一度、遷宮して新しい社に更新して来た。長い宗教伝統を守るため、社の再建という重荷が、近年60戸から30戸に減った能郷集落にずしりとのしかかっている。

 葉名尻さんによると、再建に約400万円かかったという。里で組み立てた社をヘリで運ぶ。幸い他の作業との都合がつき、ヘリ運搬費が格安となり、助かった。人口減、若者の減少、何より辛いのは神社の運営を支える地域が能郷だけとなったこと。昔は美濃一円の村々から奉加金が集まった。「08年再建では歯を食いしばってやりきった。でもこれが最後の再建、遷宮かもしれない」と語った。将来、奥の院を、安置する神鏡とともに里の本社に移す選択もあるという。

 葉名尻さんは今、能郷の自治会長である。再建後、毎年10月に奥の院を訪れ祭礼をつとめてきた。今は4月の能郷猿楽奉納の準備に忙しいが、その奉納行事存続も難しい状況だという。山間地の民俗文化の継承が危機に陥っている現実がここにもあった。

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