月報「わっぱ」 2023年3月(No.496)
『登頂あと300』アイガー北壁初登攀記 (著者 高田 光政 発行 ㈱二見書房)
丹生 統司
その日は先輩のK氏と御在所の籐内壁を計画していたと記憶している。ところが雨となってK宅で時間を潰すことになった。入会して2年、岩登りが面白くて貴重な時間が雨で消えるのが恨めしかった。部屋の書棚に有った本を何気なく手に取り読み出した・・・。
1965年8月、高田光政はアイガー北壁を単独登攀すべくグリンデルワルトに滞在しチャンスを窺っていた。この年のアイガーは100年に一度という最悪のコンディションだった。そこへマッターホルン北壁を10日前に登った芳野満彦と渡部恒明が現れた。芳野の勧めで高田は渡部とザイルを結びアイガー北壁へ挑むことになった。
北壁の2日間は順調にザイルを延ばしたが、3日目に神々のトラバースで高田が墜落し助骨を負傷、以後は全て渡部がザイルのトップを務めることになった。翌日の「白いクモ」の登攀中に渡部が落ちたが運よくケガはなかった。が、山頂まで300mを残した北東壁への出口で2度目の墜落をした。渡部は意識を失い宙吊り状態、彼を引き上げることは不可能だった。意識が戻るまで人工呼吸を施すような思いで叫び続けた。かろうじて意識を戻した渡部にブルージックで登るよう叫んだ。
しかし、意識朦朧の渡部には反応する力さえ無かった。高田は究極の判断を迫られた。此処でビバークして望遠鏡で運よく遭難者として発見されるのを待つか、自力で北壁の「未知の300m」を登り切って救助を求めるかである。極限の中で自力脱出を決めると食料などを渡部の所へザイルで下ろした。下に向かって「2日待て」と叫びザイルを解いた。
己を確保するザイルもハーケンもない。未知の300mが命を奪うようなことが有ったとしても恐れてはならない。どんな困難、最悪の事態が待ちかまえているとしても、やらなければならない。座して待つことではなく、戦わなければならない。
・・・ページをめくる毎に引き込まれ一気に読み終えた。その後2度ほど籐内壁一の壁で著者のクラミングを見たことがある。上手だった。山との向き合い方を変えた一冊となった。
私の書棚・山書紹介①
『登頂あと300』アイガー北壁初登攀記 (著者 高田 光政 発行 ㈱二見書房)
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