大垣山岳協会

小津権現山、懐かしき緑の回廊 2023.05.20

小津権現山

【 一般山行 】 小津権現山 ( 1158m Ⅱ△ ) SM

 所属する会の仲間8人と、奥美濃の名山の一つ、小津権現山(1157m Ⅱ△)に登った。長い尾根を包む落葉広葉樹林内歩きはこころ心晴れ晴れ、足取りうきうき。楽しく明るい緑の楽園だった。ただ、心配も覚える。これで6回目の登頂だが、樹林は次第に厚さをまして、林内が暗くなったように思う。地球温暖化現象が進み、ブナの南限がどんどん北上しているそうだ。さらに、落葉樹が衰退して常緑の照葉樹林と化す心配も浮かぶ。「こころ晴れ晴れ」は何時まで続くのかな。

  • 日程:2023年5月20日(土)
  • 参加者:SM、同行8名
  • 行程:自宅6:10⇒名神高速・東海環道・神戸大野IC⇒道の駅パレットぴあ大野で同行8人と合流7:15⇒国道303号⇒東津汲⇒小津⇒杉谷林道登山口(岐阜県揖斐川町小津 標高約440m)
    駐車地8:15→9:40高屋山(955m △Ⅲ点名高屋)→10:25前山→10:55小津権現山山頂12:00→12:35前山→1:10高屋山→2:25登山口
  • 地理院地図 2.5万図:樽見

 この山には過去何回登ったのか。苦労して過去の文書資料を探し求めた所、5回まで判明したが、他に単独で登ったような記憶もある。記憶の保管庫が崩れているのか判然としない。

 だが小津の集落から標高約200m上の杉谷林道登山口に着くと、前回登山の様子が薄っすら蘇ってきた。2015年6月7日、会の元会長高木泰夫氏の山中追悼法要がここで挙行された。その際、私も含めて多くの会員が権現山まで追悼の登山をしていた。何はともあれ、新鮮な気持ちで歩き出した。幅7,80mもある広い尾根上をゆったり登る。コナラ、クヌギやカエデ類の落葉広葉樹の葉が広く林冠を覆っている。標高900mを越すと、ブナが現れる。株立ちや大木も白い木肌を見せている。それらの木々の葉の隙間から落ちる日光が適度に地上まで届き、輝きを見せている。

写真①

 ヒノキ、杉などの針葉樹は全く見当たらない。人工林はまったくない天然林なのだが、この尾根付近だけなのかはわからない。一度調べてみたい。二重山稜もある広い緑の楽園。テントを張って一夜を明かしたい気持ち。時折林内を吹き流れる風はピリリと冷えていて、汗ばむ体を包んでくれる。高度約500m上がった高屋山山頂(写真②)は平らな切り開き地に三角点石がぽつんと立っていただけ。私の1994年10月の登頂メモには「朽ちた廃小屋」があったとある。吉川幸一氏の「岐阜の山旅」には小屋には雨量観測器が収納されていたが、無用となり、計器は下ろされ廃屋となったそうだ。今は痕跡さえない。時代と共に観測技術もデジタル化急進して、旧来技法はどんどん消え去る。

写真② 高屋山山頂

 高屋山からはやや細い尾根筋が北上する。やや急峻な上り下りが数か所あるが、危険な個所は少ない。パーティーの9人の平均年齢は67.5だ。うち最高は私。高校時代から登山歴60余年。万物みな、経年劣化は避けられない。のろのろよぼよぼ、口だけ走る。ついて行くのが精いっぱいなのだが、歩行中でのみんなとの会話は楽しいし、勉強になる。などと余計なことを思いながら話しかける。

 この山は山野草の豊富さで知られるらしい。ヤマツツジ(写真③)やシロヤシオ(写真④)、エビネラン。その道の大家であるN氏の案内で自然の美を愛でる。

写真③ ヤマツツジ
写真④ シロヤシオ

 二つ目の大きな鞍部から急な斜面を登りきると小津権現山の小広い平らな山頂(写真⑤)。記憶に残るのは小さな祠と神社名の入った木柱だ。99年9月の写真(⑥)には「権現山 大権現神社」、今は「大権現白山神社」となっている。祠は変わっていないようだが、台座は変わっていた。この神社は昔の登山口である小津集落の小津白山神社とつながる。昔は小津集落の人々は肥料資材、燃料や家財制作用の木材、食糧用山菜などの採取のため、さらに宗教(白山修験)活動としても、権現山はなくてはならない里山だった。近年、集落に近い山々はどこも閑散としている。地元住民が登る必要がなくなったからだ。登るのは一般登山者だけとなった。だが、地域の人とは無縁のうちに、登ってよかったよかった、でいいのかなと思う。山頂の日陰で昼食をとった後、広場東側から周囲の山岳を見渡す。すぐ北に何度も登った花房山(1189m)(写真⑦)。山頂部の二重山稜の形がバラの花の様なのでこの名が付いたそうだ。その奥に雷倉(1168m)。そのずっと西に屏風山。さらに西の能郷白山などは雲の奥で不鮮明。北の天空に白山連峰の白い姿が一時現れたがすぐ雲の向こうに消えた。

写真⑤ 小津権現山の小広い平らな山頂
写真⑥ 小津権現山山頂(99年9月)
写真⑦ 花房山(1189m)

 広葉樹林の麗しい緑の天井の美しさに感動した山歩きだったが、尾根筋から外側の眺望はほとんど効かない。昔はそうでなく、尾根筋から右手に雷倉、タンポなどの山々が樹林の間から見えたように思える。今は、すぐ近くの花房山も随分上部にならないと見えない。

 西側には時折、揖斐川本流の西側の天狗山、蕎麦粒山方面が見えたはずだ。登山者以外の山林関係者が入らなければ、樹木はどんどん成長して眺望を阻む。やがてはヒノキ人工林内と同じように見通しの効かない暗い山歩きを強いられる。過去の写真でこの印象をうらづけるものはないが、15年6月山行の写真(写真⑧=高屋山付近)では中間部の尾根筋で間伐や除伐による明るい道筋が見えていた。

写真⑧ 高屋山付近(2015年6月)

 暗くて見通しの効かない樹林が近年増えている現状はわれら低山薮山派の登山者にとって茨の痛みを伴う。見通しが効かないので歩く方向を誤る危険性が生じる。そうした認識を常に持って歩くことが求められる。もう一つ、ややこしい疑問が浮かぶ。99年9月にこの山に登った時の日記に触れていた温暖化現象に関わる理解である。その日は梅雨時のような蒸し暑さで稜線に出ても少しも涼しくなく、世紀末の異常現象に不安感を感じる、と記している。今では常識化している地球温暖化現象をすでに意識していたのだ。「既成事実の退廃」に慣らされているとも記している。

 考えてみれば、その破滅への既成事実は今も積み重ねられている。

 山歩きの最中にそんな不愉快なこと考えるなんてアホか、と言われそうだが、広葉樹林内だからこそ生まれる大切な再認識だとしたい。

 (カメラ不調のため、当日の写真はピンボケが多く失礼しました)

<ルート図>

 発信:5/23


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