大垣山岳協会

黒部川源流奥の院周回 №3 (三俣山荘~鷲羽岳~水晶岳~高天原編) 2021.10.05-09

水晶岳

【 個人山行 】 黒部川源流奥の院周回 №3 10月7日 3日目
三俣山荘 ~ 鷲羽岳 ( 2841m Ⅲ△ ) ~ 水晶岳 ( 2986m (北峰Ⅲ△) ) ~ 高天原
丹生 統司

 黒部川の源流が雲ノ平の溶岩台地に沿って大きく弧を描いてワリモ岳と祖父岳の鞍部・岩苔乗越の斜面に消える。昭和50年7月上の廊下最後の詰めで黒部の水は鷲羽岳の雪渓に消えた。更に雪渓を詰めていたが単純な雪渓歩きに意味を感じず鷲羽岳の肩辺りへトラバースして黒部上の廊下を終えた。今回は鷲羽岳を越えて水晶岳より稜線を更に北上して温泉沢から高天原温泉へ下降し露天風呂で垢を流した後に黒部川の支流岩苔小谷を渡る。

  • 日程:2021年10月5日~9日(火~土)
  • 参加者:単独
  • 行程:【3日目】10月7日(木) 霧後午後晴れ   三俣蓮華キャンプ場5:45-鷲羽岳7:20-ワリモ岳7:55-水晶小屋8:50-水晶岳南峰9:50-水晶岳北峰9:55-温泉沢頭10:55-高天原温泉13:25-高天原山荘14:00-岩苔小谷渡渉地・キャンプ14:30
  • 地理院地図 2.5万図:薬師岳・三俣蓮華岳

 昨夜あれほどの星空が朝には消えてガスに包まれていた。しかし雨は落ちていないので朝霧は晴れると信じてテントを撤収した。昨日訪れた山荘は閑散としていたが朝は灯りついて営業中と判断できた。昨日空にした缶ビールを返して出発した。

 キャンプ地から1時間35分ザラ場を登るだけの単純作業を繰り返し鷲羽岳山頂に着いた。点名・中俣、Ⅲ等三角点石柱は黒部五郎岳と同石種だった。ただの霧と侮っていたが黒部川から吹き付ける風は強く途中で雨具を着て防風対策をした。

 鷲羽岳を過ぎると一段と風が増して指が冷たく冬用手袋に変えた。稜線は非対称山稜で黒部側が緩傾斜で右側のワリモ沢側(水晶小屋から先は東沢谷)が断崖でスッパリと切れ落ちていた。

 水晶小屋に到着したが既に今期の営業を終えて無人だった。小屋前の材木に腰を下ろして休憩していると若者二人が鷲羽岳から登って来た。若者のうち一人は防風着を着けていない。寒くないかと問うと「大丈夫です」と言う。若い肉体が羨ましかった。

 水晶小屋から東に斜面を下れば野口五郎岳への分岐である。烏帽子岳へ至るルートは昔は裏銀座コースと呼ばれていたが現代はどうなのだろう。

 水晶小屋からは東沢谷側にある踏み跡を追って通常ルートに出た。稜線に戻るとやはり風が強く寒かった。先ほどの若者が追いついて来たので先頭を変わった。

 水晶岳は南峰、北峰からなる双耳峰で最高点は南峰の2986mであるが三角点は北峰にあると知っていた。南峰に上がると山頂山名柱と道標が有った。先着した若者二人は撮影に夢中だったが私が北峰に三角点が有ると言うとついて来た。

 南方から北峰へは岩稜となっており黒部側の急斜面に踏み跡が続いていた。東沢谷側は岩壁となってスッパリと切れ落ちていた。点名・水昌山Ⅲ等三角点は北の高みに有った。石柱に黄緑色の苔を纏って風格があった。

 北峰は鋭い岩峰となっており三方が切れ落ちて一旦南峰側へ引き返して縦走路へ復帰した。黒部側の急傾斜地につけられた道を一気に70mほど下ると尾根道となった。振り返ると岩が黒く別名黒岳と言われる所以と思った。

 道は大体黒部川につけられており温泉沢の頭を目指して大石が重なった道を踏み外さぬように注意した。ゴーロでの注意点は足元の岩をよく見ること、道は靴で踏まれ岩角が摩耗している。踏み跡を外すと岩は角張り風化でザラザラ表面にカビか苔がついている。

 ガスが切れて足下に高天原の湿原と山荘が確認出来た。山荘は陽光が射して暖かそうでジャンプして一飛びで降りられる翼が欲しいと思った。昨日は午後になって天気が回復した。今日は雨がない分昨日より天気の回復が早くなりそうな気がした。

 振り返るとガスが切れて水晶岳が現れ青空が覗いて来た。天気は急速に回復している。それにしても北から見る水晶岳の岩は真っ黒で「黒岳」と呼ばれるのが納得である。

 温泉沢頭への道中で足下に高天原山荘が見えると早く下りたい衝動にかられた。また東沢谷の彼方に黒部湖と黒四ダム堰堤の人工物を見ると稜線にたった一人の自分を実感した。温泉沢頭の分岐、写真の尾根を北上すれば赤牛岳で末端は黒部湖である。高天原へは此処で左側の急斜面を下った。

 赤牛岳への尾根と岐れて黒部側へ落ちる急な尾根の踏み跡を追った。正面に薬師岳を見ながら浮石の多い急斜面をドンドン下る。幸い誰もいないから落石を気遣う心配がない。

 下りて来た尾根を振り返る、温泉沢の頭が真上に有るような急下降だった。温泉沢迄高差700mよくもマアこんな急斜面に道を作ったものだ。下りながらあそこまで行けば楽になるぞ、下の傾斜の緩そうな台地を見て幾度か自分に言い聞かせた。

 対岸の薬師岳の山容がずいぶん変わった。薬師岳下部の黒部川沿いは岩壁群になっており温泉沢が岩苔小谷となって黒部川に合流する辺りに立岩と呼ばれる岩塔がある。その下流には上の黒ビンガと呼ばれる岩壁帯がある。上の廊下遡行の折りに上の黒ビンガを見て興奮したのを思い出す。黒部の谷にハーケンの木霊を響かせてやる、ホラを吹いたものだ。

 尾根の下部は傾斜が落ちてダケカンバやオオシラビソの林の中を歩いた。尾根の末端は6mほどの岩場になって温泉沢に落ちていた。河原へはフィックスロープが垂らされていた。ヤレヤレ谷に降り立ち支沢から温泉沢の頭を見上げた。

 尾根を下りきれば楽になると思ったが大間違いで温泉沢の河原歩きは辛く長く大変だった。対岸にペイントがあれば渡渉の印だ。何回渡渉をしたのか5回や6回ではない。土が恋しく普通の道を歩きたいと思った。

 河原歩きに疲れて嫌気がさした頃に下流からイオウの臭いが鼻を衝いた。高天原温泉だ、気のせいか道が歩きやすくなった気がする。対岸に石組みの露店風呂が見えた。先客が1人いて登山姿の若い女性だった。

 彼女が言うには下流の高天原山荘が今期の営業を終えて閉鎖、露天風呂は全て湯が抜かれている。対岸の湯も全部抜かれている。彼女は湧き口からホースを引き湯を入れている最中だった、落ち口の湯に指で触れると湯加減は良かった。だがチョロチョロで満杯にはどれほど時間がかかるやら多分夜になるだろう。それよりも人の通わぬ山中に若い女性が一人、これから入浴となれば早く立ち去るのが賢明、休まず山荘へ温泉は諦めた。

 温泉から山荘迄約30分、道中から見た薬師岳である。太郎平や黒部五郎岳、水晶岳の尾根から見た山容とは全く異なる。周りの木々の枝ぶりや黄葉と黒い山肌との調和が素晴らしく時に歩みを止めて眺めた。

 水晶岳の稜線から山荘が見えた。あそこから見た景色がここだったのか、下から見上げる水晶岳とシラビソの林と笹原の調和に足が止まった。S50年の忘れ物はこれだったのか。

 営業を終えた山荘に着いた。山荘前広場を今夜のネグラにする予定であったが見てのとおり床の凹凸が激しい。水も当然止められて近くにない、もう少し歩くことにした。

 山荘前に広がる湿原はショウジョウスゲ、イワショウブで覆われ湧水が小さな水音を立てて流れていた。美谷の道を辿りつつ高天原峠を越えようかと思案をしていて忘れ物に気付いた。今朝のテント撤収の折り水バケツを岩の上に水切りの為に置いていたが回収を忘れていた。高天原峠を越えて雲ノ平に近い尾根上でテント泊をと思ったが諦めた。

 もう一つ予期せぬ事態が、高天原山荘が今期の営業を終えたことから岩苔小谷に架けていた木橋を撤去していた。渡渉するしかないが岩は滑っていて滑りやすい。渡渉場所を決めて慎重に渡っていたが後もう一歩の所で左足が滑ると右足も、直ぐに渡り終えたが両足とも濡らしてしまった。

 撤去された橋の付け根付近がテントを張れるほどの広さが有ったので此処を今夜のネグラと決めた。昨日と同じように先ずフライを干してテントの設営準備をしていると突然美女が3人現れた。向こうもコッチも熊にでも遭遇したかのようにビックリ、何せ黒部の人気のない山中だ。聞けば高天原の露店風呂に行くと、長靴履きでバケツを持っている。温泉の湯が抜かれていることも橋が撤去されていることも承知だ。バケツで湯を汲み入れるつもりだ。先ほどの女性は奥深い山中でたった一人で湯を溜めていた。女性の執着とバイタリティーは凄いと感心した。今夜の高天原の露天風呂は若い女性で大盛り上がりだったろう。

 コメツガと思われる大木の根元にテントを設営した。夜露は凌げるだろう。念のため四隅の一辺の張綱は立ち木に括っておいた。樹林帯の中で風は大丈夫と思ったが万が一川に飛ばされたら命に係わる。濡れた靴は底を上にして折れた立ち木に掛けた。

 昨日は酒が飲めたが今日はまた断酒だ、しかし中俣乗越の一夜に比べれば水はたらふく飲める。しかも黒部源流の冷水、最高に贅沢な水だ。樹林帯の中は暖かく夏シュラフだけでカバーは使用しなかった。明日は行動を楽にするため3時半起床4時半出発と決めた。夜半に起きるとコメツガの枝の隙間から星が確認出来た。明日の天気はよさそうだ。

№4へ続く


黒部川源流奥の院周回 №3 (三俣山荘~鷲羽岳~水晶岳~高天原編) 2021.10.05-09
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