【 個人山行 】 黒部川源流奥の院周回 №1 10月5日 1日目
飛越新道登山口 ~ 寺地山 ( 1966m Ⅲ△ ) ~ 北ノ俣岳 ( 2662m Ⅲ△ )~ 中俣乗越
丹生 統司
昭和50年2人の仲間と黒部川上の廊下を遡行した。その遡行は薬師沢出合を見た時点で困難個所は既に終わり以後の源流域は単調な川原歩きだった。しかし、この時高天原の湯に浸るとか雲ノ平で息抜きしようという発想が全く湧かず黒部の一滴の浸み出すところにこだわった。今思えば若い時代の山登りを象徴しているようだ。若き日の宿題を思い出して北ノ俣岳から黒部五郎岳、水晶岳を越えて温泉沢を下降して高天原で一風呂浴びて、更に雲ノ平へ足を延ばし自然の造形美をビール片手に満喫しよう。その後、薬師沢出合へ下りて黒部の水を両手ですくい冷たさを46年ぶりに確認しよう。4泊5日の周回計画である。
- 日程:2021年10月5日~9日(火~土)
- 参加者:単独
- 行程:【1日目】10月5日(火)晴れ 飛越新道登山口6:30-寺地山9:25-北ノ俣避難小屋10:25-北ノ俣岳13:25-中俣乗越15:05
- 地理院地図 2.5万図:有峰湖・薬師岳・三俣蓮華岳
登山口には4台ほど駐車していたが車内には誰もいなかった。吾輩は駐車場で明るくなるのを待ち朝飯にラーメンを食ってのんびりし過ぎたようだ。
これほど長い山行は若い頃以来だ、4泊5日の宿泊装備と食料が重く肩に食い込む、老体をつくづく感じた。軽量化で酒も我慢したがそれでもまだ重い。尾根に上がると鉄塔の切り開きの先に剱岳が見えた。剱に勇気をもらい汗を滴らせて歩を進めた。
寺地山に到着、Ⅲ等三角点、点名・大山、寺地山最高点から西に100mほど離れた藪の中にあった。目印が続いており発見は容易であった。シラビソに山名板も括られていた。
寺地山最高点で石柱の天端を丸く面取りした明治期の旧農商務省の主三角点を見つけて一人で興奮した。三俣蓮華に在るのは承知していたが此処にもあったのだ。思いもせず宝物を発見したような興奮だった。そして寺地山と言えばドロドロ新道と揶揄されるが此処までスパッツを汚さずに来た。今回の山行はついている予感がした。
寺地山は山頂を過ぎて展望が開けた、先ず北に目をやると広い裾野を持つ薬師岳とその裾野の遥か彼方に剱岳の三角錐の岩山が黒く見えた。
そして正面にこれから向かう北ノ俣岳がたおやかな山塊に秋の彩りをつけて早く来いと手招きしているようだ。右奥の黒い山塊は黒部五郎だ。
更に右に目を転じると笠ヶ岳だ、北アで他県と界を有しない岐阜県内最高峰で飛騨のシンボルだ。飛騨で5~7月に雪を抱き天を衝く屹立した山を見たら笠ヶ岳とみて間違いない。
北ノ俣避難小屋分岐、小屋は100m先の森林の中でここからは見えない。当初ここで宿泊予定であったがまだ10時半前、小屋に寄らず北ノ俣岳を越えて行けるだけ行くと決めた。
壊れた木道を撮影しようとウェストポーチのチャックを開けた時に地形図がないのに気付いた。さっき避難小屋分岐を確認していて落としたのだ、地形図はA4サイズで10ページあり、これから先の9ページも一緒にファイルに入れていた。荷物を放り投げ慌てて捜しに降りた。風が吹いていたが地形図は運よく枯草に引っかかって休憩地からさほど離れていない場所で回収できた。運が良かったのだ。以後使用しない地形図はザックに仕舞った。
木道は損傷が激しく時にバラバラに壊れていた。登山道は背丈が隠れるほど風雨に削られて窪んだ所もあった。時には笹の上を歩いた。右の涸谷に水が無いのを見て大チョンボに気付いた。避難小屋で水を補給するのを忘れていた。ペットボトル3本の内既に1本は空だ、もう引き返す勇気はなかった。地形図回収のロスも大きかったのに一大事だ。
薬師からの稜線が見えて来た。剱や奥大日の稜線も見える。水の補給を忘れたのは大チョンボだが以前石徹白の丸山ではペットボトル1本の水でビバークした。あの激ヤブ山を1本で我慢できた、ここは3000mとはいえ道がある。しかし2本目の水にも手を付けていた。
北ノ俣岳北峰に登りきると此処にも旧農商務省の主三角点が、本日2ツ目の拝謁だ。予期もせぬ、思わぬ褒美に水のことなど忘れて雀躍したいほど心が舞い上がった。
太郎平と北ノ俣岳の分岐に立つと黒部五郎から延びる尾根の奥に三俣蓮華岳と双六岳その奥に天を衝く槍ヶ岳と大喰岳、中岳が見えて三俣蓮華と鷲羽岳の奥に見えるのは大天井岳だろう。鷲羽岳から水晶岳の前の台地が雲ノ平で三俣蓮華との谷は黒部川の源流だ。
点名・北俣嶽。北ノ俣岳に登山者はおらず人の臭いが消えて風が抜ける寒い山頂だった。ペットボトルの水は既に1本と半分ほどに減っていたが構わず黒部五郎方面へ向かった。
黒部五郎を南に見て先ず赤木岳を目指した。中俣乗越に行けば赤木岳からの湧水があるかも?取り敢えず行ってみよう。黒部五郎の右奥に抜戸岳から笠ヶ岳、その奥は乗鞍岳だ。
2週間前より秋は深まって見えた。池塘の水は干上がって白い砂や湿った土の涸池が枯草の草原に点在していた。薬師岳の右に赤牛岳その後ろは立山だろう。薬師と赤牛の谷間辺りが高天原で明後日頃にはあそこでのんびり湯に浸かる予定だ。
大石のゴーロを越えて赤木岳に立った。中俣乗越は深く落ちており水は期待できた。乗越着15時だった。無理をすれば黒部五郎のカールまで行けそうだがヘッドランプがザックの奥の方だ。今日は此処までと決めて赤木沢へ水を求めて10分ほど下ったが谷に水は無かった。止むを得ず池塘に水を求めたが浅くて濁り水生昆虫の死骸やら黒い藻が有って汚い。登りに見た避難小屋から北ノ俣岳の間に点在していた澄んだ池塘とは全然違った。
濁った水だが沸騰させれば何とかなる、澱が入らぬように用心して上澄みをカップですくって水バケツに溜めた。テントは用心のため飛ばされないようにハイ松に張り綱を1本だけ括っておいた。テント内から眺める薬師や赤牛、立山の絶景は格別で、これほど贅沢なテント場で酒が有ればいうことなしだった。
池塘の水は沸騰させタオルで濾せば使用できると思っていた。しかし沸騰すると泡が緑色に変わった。さすがに飲むのがはばかられ食事に使用する気も失せた。20代の頃に穂高屏風岩を登攀後に北尾根を歩いていてあまりの喉の渇きに捨てられていた空き缶に溜まっていた水を飲んだ。ヒマラヤでは下痢を繰り返しながらも現地の水に適応する身体をつくったが当時と72才を越えた今では身体の抵抗力が違う。ここはメニューを変更し朝食に用意したお粥でしのぐことにした。温めるだけなら池塘の水でも十分こと足りた。
西の空が夕焼けで染まり明日の天候は大丈夫と安心した。薬師と赤牛も山頂部が少し赤く染まっていた。夜半に起きると星が出ていたが昔に見た「星が降る」ほど「手を伸ばせば届く」ほど近くに感じなかった。どうやら薄く雲が出ているようだった。
№2へ続く
黒部川源流奥の院周回 №1 (飛越新道登山口~寺地山~北ノ俣岳~中俣乗越編) 2021.10.05-09
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