【 一般山行 】 千回沢山( 1246m 点名・荒谷 Ⅱ等△ 美濃百山C級 ) 揖斐川町門入三界山 NT
徳山ダムの出現で旧徳山村門入は陸の孤島となった。遠くなった揖斐川上流西谷源流域千回沢山の報告である。写真はホハレ峠を訪れていた折りに手を合わせていた地蔵である。昔日のホハレ峠は門入の村人が繭や栃板を担ぎ頬が腫れるほど辛い思いをして越えた峠であった。近江木之本迄の行き帰りの安穏を祈り手を合わせた地蔵である。それが2019年に訪れた時には罰当たりの仕業であろうか無くなっていた。新たに観音像が安置されていたが風化で言わずとも年月や峠の歴史が感じられた地蔵様を知っている者には・・・
- 日程:2023年7月29、30日(土、日)
- 参加者:L.GM、US、KM、SK、NY、NH、NT、HM、FI、MM、YC
- 行程:
- 7月29日(土) 晴れ ホハレ標高750m駐車地7:18-門入9:07-蔵ヶ谷出合10:45-標高700mテント泊地13:40
- 地理院地図 2.5万図:広野
7月29日(土) 晴れ
揖斐川町川上からの林道はホハレ峠より門入へ向けて新道が開発工事中のようで嘗ての凸凹道は修復されていた。峠より約2㎞、烏帽子山へ向かう林道から分かれた標高750m辺りの膨らみが駐車地だった。その先は重機で封鎖されていた。
約200m北東へ急下降する尾根に付けられた踏み跡から黒谷の旧道に復帰した。1泊2日の山行にしてはメンバーのザックの大きさが気になった。道のない谷歩きの沢泊は疲労度が倍加する、機動力を重視するには軽量化が必要なのだが。
西谷本流に架かる沈下橋についた。今も両岸に家屋が数件有って元住民が数人ほど雪のない間生活している。早速H氏宅の番犬が侵入者の我々に向かって吠えて来た。
西谷と分かれて入谷の廃林道に入ると杉林となって足元がぬかるんでおりヒルが多かった。左岸を進むとやがて大きな堰堤が現れ対岸上に嘗ての金採掘コウモリ穴が確認出来た。蔵ヶ谷出合の右岸山側に赤く錆びた鉱山廃屋を見て入谷側の斜面を河原へ下りた。
河原で沢靴に履き替えていよいよ入渓となった。登山靴は斜面の高い木に括って雨で増水しても流されないようにしてデポした。ヘルメットを被りイザ出陣、沢泊予定地標高700mを目指して沢の中をピチピチ、チャプチャプ、ランランランと行けたらいいのだが、
小石の河原は直ぐに終わり渓谷らしくなって大石を登ったり避けたり時に急流に逆らう。滑りやすい足場を避け水中での安全な足場を確認しながらだとペースは乱れ、疲労度が登山道を歩くのとは全く違うことに気付く。そして支谷が現れる度に地形図で現在地を確認し他人任せにしないことも大事だ。時折クモの巣が顔面にへばりつき気色悪い。
小滝や深みが現れると段丘や斜面を捲くことに、獣道を利用すると正解が多いのにも気付くが樹木が邪魔をする。特に大きなザックは枝やツルが絡みやすく疲労が倍増する。
谷にはカツラの木が多かった。もうすぐテント泊予定地付近で出会ったカツラの大木に感動、疲れを忘れてポーズをとった。カツラの甘い乾いた香りが谷に漂っていた。
標高700m予定宿泊地に着いたが11名ものテント場の平地となると中々適地を決めるのが難しい、二転三転してようやく落ち着いた。夕立など急な増水時でも安全が確保されて焚火が出来る河原が近く必要な薪が豊富なのが条件だからだ。
テントの設営が終わるとリーダーの指揮で薪集めとなるがパーティー山行では共同作業が重要で協調性が必要である。また谷では湿気の多い薪での火起こしも重要な技術で先輩の傍で学ぶことは多い。山岳会のリーダーは営利目的のガイドではない。地味な仕事を率先して行う先輩を傍で見て学び次代へ繋いでいただきたい。
沢泊での焚火は衣服を乾かすだけでなく心まで温めてくれる。酒が入ると楽しくなり話が弾んで行きたい山、岩や沢など山談議は尽きない。昔はイワナやアマゴが豊富で焚火を囲んで香ばしい焼き魚に舌鼓をうち骨酒も美味しかった。秋のマイタケも美味しかった。
谷の夕暮れは早い、明朝は5時出発とリーダーより発表された。明日は入谷を忠実に詰めて最後は藪漕ぎ、百点満点最短で三角点到達が目標である。各自テントに帰ると早々にシュラフに潜った。足に古傷を持つ筆者は迷惑をかける前に明朝此処で彼等を見送り一足早く下山して門入で待つ予定である。千回沢山第1日、完。
№2へ続く
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