大垣山岳協会

彼方の君と二人・伊吹山東面山行 2023.12.08

伊吹山

【 個人山行 】 伊吹山( 1377m Ⅰ等△ )東面 NT

  • 日程:2023年12月8日(金) 快晴

 今夏8月11日、闘病中であった常任理事会員のSが亡くなった。「伊吹山へもう一度と言っていたのが心残り」と奥様は電話口で涙声で言った。

 彼が胸に刻みたかった濃尾平野と奥美濃から飛騨へ続く層巒(そうらん)の景色、雪の襲来を待って叶える予定であったが滋賀県は表道の土砂崩れを理由に米原市側からの登山を禁止した。止む無く東面、岐阜側から登った報告である。

 今回は滋賀県の「登山禁止」もありルート図とタイムは添付しないこととした。取り付きは杉と檜の混合人工林で凄い急傾斜、よくこんな所に植林したと感心した。

 Sの写真を胸ポケットに入れて出発したが急登の連続で汗びっしょり、濡れるのでビニールに入れ包んだ。早々に「ヒラタケ」と遭遇、これはSのお導きかも。帰宅後にバター焼きにして頂いたが美味しかった。人が立ち入らぬ山には時々思わぬ収穫が有る。

 人が立ち入らぬ山は彼等、糞の主の住処である。此処で20連発の爆竹を鳴らした。今日は腰に剣ナタを下げて万が一に備えているがヘルメットを忘れた。頭が大事だ、熊に襲われた被害状況を見ると頭を噛まれている。最大の弱点を攻撃する野生の本性に対応するにはヘルメットは必携である

 植林帯を越えると疎林となったが急斜面を這い上がると古い道跡に行き当たった。50年前の新人時代に〇〇〇越えと教わった古道で有るが土留めに積まれた石が残っていた。トラバースが多く斜面上からの灌木が垂れてうるさく片手で払いつ腰をかがめて進んだ。

 高度を稼ぐとドライブウェイが真下に見えて車が何台か走っていた。11月末で営業を終えているとの情報を得ていたのだが、大手を振って歩くのは未だ先だ。川戸山から池田山への東面の景色が見えたのでSの写真を出し眺められるようにして暫く休んだ。

 Sよ君に見せたかったブナ林である。伊吹山と言えば禿山のイメージが強いが此処にはブナの林が残されている。この下の斜面には春になるとヤマシャクとエビネランが咲き誇る秘密の花園だ。写真のSへブナ林を見せるように樹林の中央を歩いた。

 先日の降雪が所々に残っており小さく浅い池は凍結していた。ブナは太いもので60㎝ほど50年前と大きさは余り変わっていないようだ。笹の丈が随分低くなって鹿害の深刻さを感じた。ブナの幹には彼らが角を研いだキズが残されていた。

 山頂直下の阿弥陀崩れは鹿害で草木が退化して白い石灰岩と赤土が目立つ、弥高尾根の肩越しに長浜市街と琵琶湖が霞んでいる。天気は快晴なのだが黄砂の影響だろう。

 灌木が途切れてそれほど広くない草原の台地に出た、まず人に出会うことがない最高の展望台である。ドライブウェイと川戸山の背後に南宮山と養老山系の笙ヶ岳が霞んでいる。

 その先には濃尾平野と伊勢湾があるのだが今日は見えていない。晴れた日にはSよ君の住居の名古屋市街、駅のツインタワーも確認出来るのに今日の黄砂が恨めしい。

 左手前は伊吹北尾根、その背後は鎗ヶ先から鍋倉山、中央は高天神で奥が池田山、左は小島山からムネ山であろう。池田山の奥に冠雪した御嶽山が少し離れて乗鞍岳も白い、左に穂高が見えるはずだが今日は黄砂で確認出来ない。鍋倉山の奥に白山が一際白い、その手前に能郷白山も白く奥美濃の山々も見渡せた。Sよ君が健康なら山座同定で議論が起きたかも、

 小春日和で暖かく昼寝をしたくなるような草原台地で長い休憩をした。小石でSの写真が飛ばされぬようにして約1時間、たっぷり景色を堪能していただいた。

 大休憩後、そのまま下山しようと思ったが三角点まで足を延ばした。山名柱の在る「日本武尊」の付近や山頂のベンチなどに5~6人ほどの登山者が居た。おそらくドライブウェイからの登山者であろう。

 Sの葬儀には田舎へ帰省中で参列できず、会の追悼登山も3年越しの計画が決まっており参加出来なかった。長年会の為に尽力してくれたのに申し訳ない。

 術後の今年2月、腿の肉がすっかり落ちた細い足にワカンを履いて坂内の雪山を登った。あの執着は忘れない、会が存続する限り語り継がれるだろう。だが、君とはここでお別れだ、いつまでもいつまでもここで会を見守って欲しい。完

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