大垣山岳協会

古希の記念山行 鴨・イソクラ・スギクラ・若丸山 2019.03.17-19

若丸山

古希の記念山行 鴨・イソクラ・スギクラ・若丸山 丹生統司

  • 日程:2019年3月17日~19日
  • 参加者:丹生統(単独)
  • 行程:点名・村平~点名・鴨~イソクラ~スギクラ~若丸山~坊主尾根下降

 イソクラから南に長い尾根が徳山本郷へ続き裾野をダム湖に落とす。旧徳山村本郷望郷広場よりこの尾根を利用し村平、鴨を経てイソクラに立ちついでに能郷白山を往復してスギクラ、若丸山へ周回、さらに足を延ばし旧徳山村で「辛いは冠、距の遠いは田代道」と唄われ、嘗て鯖江誠照寺の僧も巡錫の為に越えた旧冠ヶ峠の古道(俗称坊主尾根)を塚へ下る。ついでに坊主尾根の頭から冠山の往復も欲張りたい。

<ルート図>

 こんな豊富なメニューを本年3月で古希迎える記念山行に計画していたが今年は稀にみる異常な雪不足で尾根の藪が立ち上がらないかとヤキモキした。国道417号の塚乗り入れ解禁を待って15日頃からの天候を睨み17日出発を決めた。ところが計画の3日前に降雪があり17当日も福井県池田町は降水確率70%、春の固い残雪を踏んで空中散歩の夢は初日から破れた。
今計画の結果を先に報告すると体力と気力の衰え甚だしく能郷白山、冠山を割愛して周回のみで終えた。両山の割愛で人気俳優のいない映画のような感は否めない。それでも苔むしたブナの肌と原生林、目映いばかりの新雪の山々は重いテン泊装備や新雪行軍の辛さを忘れさせる充実した3日間であった。3日で約200枚の写真を撮った3回に分けて写真報告を行いたいと思う。

<初日> 本郷望郷広場~点名・鴨編
3月17日 天候 雪
本郷望郷広場6:46 点名・村平8:36 点名・鴨14:13 キャンプ地標高1230m15:30

 3日間の食料やテント泊装備他で膨れたザックを担ぎ村平目指して急な梯子を登った。早くも雪が舞い始めた。ダム関係の電波塔だろうか、そのための巡視路か踏み跡はしっかりしていた。

    
村平881,3mⅢ等△は雪の下、山頂の証は黄色のテープのみであった。山頂には人が逆さに雪に埋まり足のみ地上に出ているように見える木が有った。雪は湿気が多い、ここで雨具とワカンを着けた。

村平を出ると尾根は急下降、細尾根上は株立の樹木が通せんぼ漆谷側を巻いたが岩交じりでワカン装着が早すぎたと後悔した。また貧雪の影響で藪も笹も立ち上がりワカン装着での藪漕ぎは骨が折れた。

湿気を多分に含んだ雪で手袋も衣類もザックも濡れて不快指数は100%だがこの雪景色に魅せられた。

 細い尾根の箇所もあったがワカンの爪が効いてくれて難なく通過。標高1100mを越えてブナ林が途切れなくなると藪が少なく歩きやすくなった。これからイソクラ直下迄素晴らしいブナ林が続いた。

点名・鴨1212,4mⅢ等△に到着、見上げると3~4mの木の高見に黄色いテープが3段に巻かれていた。

 深い藪に閉ざされ里から遠い点名・鴨は日帰り登山が容易ではない。もしかして三角点を探し当てられたらとピッケルで10分ほど探ったが40㎝ほど下に根雪がありピッケルのシャフトが地面まで届いていないと知り捜索は断念した。

この頃から風が出て降雪も激しくなりキャンプ地を求めて鴨を後にした。三角点捜索は雪が消えた芽吹き前の頃に再チャレンジをするときめた。

 点名・鴨から高度で20mほど稼いだ標高1230m、ブナの原生林の只中でのキャンプを決めた。最低でも標高1350mまで足を延ばす予定だったが降雪と強風に根負けした。設営は指がかじかんでテントのポールが旨く掴めず苦労した。湿雪で手袋が濡れていたからだ。軽量化で酒類はなし、燃料節約で7時にはシュラフに潜った。まだ雪は降っていた。強風はブナの梢を揺すりジェット機の騒音のようだった。ダウンを着込んで寝たが寒くて何度か目が覚めた、風は一晩中吹き荒れているようだった。

<1日目 ルート図>

<2日目> 1日目キャンプ地~イソクラ~スギクラ~2日目キャンプ地編
3月18日 天候 快晴
キャンプ地発7:10 イソクラ10:07~30 最低鞍部11:49 スギクラ14:41 2日目キャンプ地・標高1167m16:15

 ゴーゴーとブナの梢を揺すっていた強風は眠りから覚めると消えていた。6時になると陽光がテントの生地を通して入り込み良好な天気が確信できた。靴を履きスパッツをつける段になってポカに気付いた。昨日テント設営のドタバタで外張りの内側にスパッツを置き忘れていた。スパッツはバリバリに凍って噛み合わせが旨く行かない。ファスナーを口で銜えて舌で氷を溶かしてピンチを凌いだ。貴重なお湯を使うわけにはいかない。テントの外は雲一つない青空が広がっており素晴らしい登山日和になりそうだ。

それにしても素晴らしいブナの森をご覧あれ最高の保養所でキャンプが出来た。

やがてブナの梢の間から西に格好いい双耳峰が見えた。何処の山か一瞬戸惑ったが直ぐに解決、蕎麦粒山で左はコソムギ徳山側からはコソムギの位置が逆に見えるのだ。その左は金糞岳で北尾根が目を引く。

群青色の空と白い台地にブナ林の盛り合わせ、昨日の荒天は素晴らしいご褒美を残してくれた。

右から若丸山、突兀とした山は冠山、その左双耳峰は金草山でその左は笹ヶ峰、奥美濃の秀峰が一望だ。

この上を歩くのがもったいないような気分にさせるクリームのような雪稜。

純白のピラミッド、白い花嫁、白い妖精、どんな表現でも似合いそうなイソクラが見えた。

そしてイソクラの右に能郷白山が見えた。やはり奥美濃の盟主、大きくて白い。

壊したくない雪稜だが唯一の登路だ、やむを得ぬ、時間の経過とともに雪が重たくなりペースが鈍った。広い尾根をトラバースして最短でイソクラを目指したが雪が緩み重たくてペースが上がらない。

やっとイソクラ山頂に着いた。目の前につい2週間前に登った能郷白山があり御嶽山から乗鞍岳、穂高から北アの連山が手に取るように一望できた。そして徳山側には奥美濃の連山が、ダム湖も見える。

数年前に山頂の木に朱色の布を括りつけたが色は褪せたがまだ残っていた。なぜか山頂に伝書鳩がいた。

 計画では能郷まで足を延ばす予定であったが昨日の悪天でキャンプ地の高度が稼げなかった。既に10時半を過ぎており能郷白山往復は今計画の主である坊主尾根頭までの周回が途中下山になりかねない。能郷は何度も登っており2週間前にも登ったばかり、ここは能郷白山を割愛して周回に重きを置くべきと判断した。先ずはスギクラを目指して登頂、その後に若丸山に少しでも近い快適な場所で二日目のキャンプをすべき。イソクラから県境尾根は西に一気に1160mまで高度を下げ広い尾根はやがて細くなる。

イソクラが少しづつ遠くなり離れていく、西面はブッシュが多くイソクラも白山も少し黒ずんで見える。

そしてまたブナの林が続いた。彼方に今日は届かないが明日越えねばならない若丸山が屹立、今日のキャンプ地は少しでも近い適地で。

行く手右奥にスギクラ、正面は山頂に続く県境尾根、重い雪とへばった身体には高い障壁に見えた。

県境稜線はスギクラ山頂へ一旦向かい逆U字で引き返す。若丸方面への分岐にザックを置き空身で往復と決めた。山頂へ続く立派なブナの美林に感動した。無雪期広い山頂は背丈を超す笹で覆われ平らな台地と思っていたが笹が雪の下になると山頂の高見が鮮明だ。

能郷白山とイソクラが本当に遠くなった。

ブナの並木道を若丸山目指し今日のキャンプ地へ、尾根は危険箇所こそないが広くて山稜が複雑に入り混じり二重山稜も多く悪天や降雪で視界が悪いと難儀を強いられるだろう。今日は快晴で助かった。標高1167mの台地が今日のサイト地、正面に若丸が見える適地、天候が急変したら扇沢へも下降できる。

明日はいよいよ若丸山を越えて坊主尾根を下る。1998年3月21に県境縦走でこの近くから若丸、冠山を往復しているのだが全くコースの記憶がない。21年前だからすでに山から遠ざかって10年以上経過していたが、まだ身体が若かったから通じたのだろう。古希を迎える身体が試される。

<2日目 ルート図>

<最終日> 2日目キャンプ地~若丸山~坊主尾根頭(冠ヶ峠)~坊主尾根下降編
3月19日 天候 曇り
キャンプ地6:32 若丸山9:47 坊主の頭12:17 ヒン谷渡渉15;20 塚駐車地15:41

 昨日の太陽は隠れ雲が厚い、出発時に見えていた若丸山は山頂部を隠して白黒の景色となった。地形図を見れば1226mのピークまでは広くて気遣いの要らない尾根だがそれを過ぎると細尾根の下降だ。振り返れば能郷白山もイソクラも山頂部は雲に覆われている。天気は明らかに下り坂である。

1229mのピークに7:22到着、ここから雪稜が始まった。県境縦走で時期も同じころ冠山まで往復しているが全く記憶がない。若丸山の登りのみ急傾斜だったことは覚えているが。

先日と一昨日の雪が根雪のクラックを隠して油断が出来ないが木枝が邪魔をして身体を谷側に追いやる。

3度片足をヒドンクレバスに取られ肝を冷やす。完全に片足を奪われると脱出が大変で体力を消耗した。

1229mのピークから雪稜通過は1時間40分を要して終わった。しかし若丸山への斜面は広いが堅雪で登るにつれて傾斜を増しワカンは無用の長物よりも邪魔、腕力を効かせ樹木を掴み強引に登った。

若丸山山頂手前で冠山へ続く稜線に出た。そこにはかすかにワカンの足跡が残っており今山行で初めて人の気配の跡を感じた。山頂には空身で登り写真を撮り引き返した。三角点は出ていなかった。

足跡は冠の方へ続いていたが雪稜が始まると福井側斜面に消えた。福井側から登った跡だと思ったが、

正面右奥は坊主の頭から北に派生した尾根上にあるアラクラ、尾根は広くて快適だが時間の経過とともに温度が上昇、ワカンに雪がくっつき花魁のゲタ状態になり体力の消耗が著しい。

唯一細尾根となった箇所、先ほど通過してきた若丸までとは比較にならない小規模だが油断はできない。

広い雪原の尾根が坊主の頭へ続く、今山行中ブナ林は果て無く続いたが美林もこれが見納めだろう。

坊主の頭(冠ヶ峠)が雪原の先に見えた。そして坊主の頭が近くなった頃またワカンの足跡を見つけた。

坊主尾根の頭(冠ヶ峠)に着くとテント泊跡を見つけた。

若丸で見た足跡の主は此処を基点にしたのだ。冠ヶ峠は古来より徳山と越前田代を婚姻で結び文化を共有する地域圏を成していた。また鯖江誠照寺の僧が巡錫の帰路に利用した峠でもあった。だが「辛いは冠、距の遠いが田代みち」といわれ明治に檜尾峠にその地位を譲った。冠ヶ峠の位置は書物によって違い特定は難しいが最高所のここが峠だと思う。

冠山が目線で下に見える高度で5mこちら側が高い。

さて冠山の往復だが12時20分を過ぎている。危険な個所はないが往復に2時間は必要で塚への下山到着が6時前になりそうだ。冠山が初めてならともかくこのルートも3度目、疲労もあったが気力が萎えていた。あっさり冠山の放棄を決めた。

坊主尾根の下降は長く感じた。また急斜面個所も多く感じた。頭でみたテン泊者達の足跡に導かれて順調に尾根末端まで来たが最後は藪椿の藪漕ぎ急下降、谷出合への下降は林道の法面状態をフジツルにぶら下がり降りた。ヒン谷はスパッツのまま早足で渡渉した。これで事実上3日間の山旅は終わった。

塚の駐車場に着くと車の前ガラスのワイパーにF氏の差し入れが括られていた。計画書で下山時間を想定しお迎えにわざわざ来てくれたのだ。冷えたノンアルコールは今まで飲んだどの本物ビールより美味しかった。感謝でいっぱい。またこの山行では塚から本郷までの車道の移動にHさんの協力をいただいた。有難いと感謝している。そして我が儘亭主の雪山単独3日の山旅を辛抱した妻にも感謝している。

 この計画は数年前から温めていたが単独行でと決めていた。ところがS氏から今年の賀状でスギクラから能郷を打診された。計画が一部だが被っている。迷ったがS氏の登山感に好感を持っていたので今計画を打ち明けた。S氏は二つ返事だった。それならもう一人、一度宿泊山行でじっくり山談義をしたいと思っていたI君にも声を掛けた。が彼は仕事柄宿泊山行に行けないと後で知った。S氏とは日程調整が旨く行かず結局単独となった。山登りで他人に頼らず自己責任で完登することは非常に大事だ。一人で出来ないことを複数で協力し解決するのも登山では重要なことだ。山は主体性を持ってやるから楽しい。悲しいが人は誰でも老いる。古希を迎え頭も筋力も退化の一方だ、それに歯止めは無理でもブレーキは踏み続けたい。老いても主体的に山登りを続けることが老化防止の妙薬と信じている。

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