大垣山岳協会

やはり遠かった、扇谷より杉倉 2021.08.11

杉倉
扇谷林道より杉倉を見る(奥)

杉倉 ( 1281.6m Ⅲ△ (点名・杦谷)) 丹生統司

<ルート図>
  • 日程: 2021年8月11日(水) 曇り
  • 参加者: L.丹生統、佐藤大
  • 行程: 扇谷櫨原望郷広場5:30-カラカン谷出合7:00-タガラ谷出合8:20-入渓8:45-杉倉山頂12:50~13:10-タガラ谷出合16:10-カラカン谷出合17:10-扇谷櫨原望郷広場18:50
  • 地理院地図 2.5万図:冠山

 本来ならカラカン谷出合付近でキャンプしたかったが台風9号の影響で徳山は10日夕方まで雨だった。仕方なく扇谷出合にある櫨原望郷広場から11日に日帰り登山とした。連日の激しい雨で扇谷の渡渉が心配されたが谷水の引きは早く浅い所を選んで通過した。台風一過を期待したが回復は遅く杉倉は雲の中だった。

 渡渉以後の左岸旧林道は草が伸びて昨年秋に訪れた時より歩き辛かった。写真下はカラカン谷出合(通称・狂小屋)である。『美濃徳山の地名』によれば「小屋ドコ」と呼ばれて出作り小屋が6軒あり田畑があった。耕作地の少ない徳山では貴重な平地であった。水力発電によるベニヤ工場も有った。我々は此処を「狂小屋」言っていたが本にその記載はなかった。ダム建設で去る人達は故郷の山野に耳障りな呼び名を残したく無かったのだろう。

カラカン谷出合(通称・狂小屋)

 カラカン谷出合からの林道は廃道と化し最悪の状態だった。長い梅雨で養分をたっぷり吸収した草木は濃密で背丈を越えていた。コンクリートの橋上も同様でタキノマタに架かる橋は藪で気付かず河原を渡った。林道脇に捨てられた車を何台も見た、重機も有った。

 扇谷本流とタガラ谷を分ける尾根末端、ここは嘗て「作むつし」と呼ばれ田畑が多く小屋は11軒も有ったそうだ。石組の田跡も有った。「むつし」とは畑を意味しているようだ。

 林道が尽きてタガラ谷へ入渓した、昨日までの雨で水量は多かった。「作むつし」からタガラ谷を約500m遡ると「越前越」(エツゼンギ)と呼ばれる小さい谷が右岸に有ったはずだが見落として写真を撮り損ねた。此処は昔、越前温見へ抜ける道があり中尾根で山畑をしていた登路で有り家族の水源でもあった。地形図に記したが中尾根を中心に広い範囲の「むつし」があり、「美濃峠」を跨いだ越前との交流路であった。美濃峠の場所は不明だが国土地理院地形図に記載された標高1167mのピーク辺りと推測される。

いよいよ滝が現れた、昨日までの雨で水は濁っており水量は多かった。

 小滝が連続した。水量が多いので何処から越すのがベターか迷う。今日は杉倉山頂に行くために扇谷をルートに選んだのであって沢登りが目的ではない。山頂までルートは遠く長い、滝を楽しむゆとりはなく省エネ登山が求められた。

 水が少なければ何とかなったかも、水の勢いに負けて高捲きを捜していたら足元に白骨化した鹿の屍、3年物の立派な角だった。両岸が切り立っており左岸を高捲きしたが急傾斜の岩交じりの草付をモンキークライムでドンドン登らされて谷底が遠くなった。

 約50m高捲きしてトラバースを開始、樹木を伝って谷底まで10mくらいの所まで降りて来た。ところが谷の上流を見て唖然、でっかい滝が豪快に白いカーテンを見せている。苦労して降りても又ここを登ることになる。地形図を見て標高950mまで約150m急傾斜地を樹木を掴んでモンキークライム、そこから斜面をトラバースして標高910mで谷に復帰した。直ぐに小滝が現れたが谷の様相が先ほどと違って穏やかになった。

 谷に復帰後小滝が幾つか現れたがこの滝は右岸を捲いた。やがて谷に架かる滝の規模が小さくなったが水は冷たさを増した。V字に切れ込んだ谷筋を進むと水の流れはやがて土の中に消えた。そして周りに竹が出て来ると猛烈な藪となった。

 杉倉の山頂付近を旧徳山村民は「天の河原」高所にある平地と呼んでいたようだ。覚悟していたことだが杉倉の山頂台地は運動場のように広くおまけに藪は濃密だ。GPS嫌いの私だが今回は時間短縮と体力温存の為にGPSを頼っての三角点捜索はやむを得ないと思った。

 扇谷からの登山者は滅多にいないのか藪は原始のままに思えた。根曲がり竹の太いこと、足の親指ほども有って、それが灌木と相俟って絡み頑強に抵抗、向こう脛を何度も打った。透けたような所を見つけると藪と格闘して近寄るが落胆を繰り返した。ダイ君の「ありましたー」の叫びでやれやれ「宝探し」が終わった。山頂台地で随分体力を消耗した。

 杉倉山頂を踏むのはこれで3度目だ。最初は福井側白谷から、二度目は点名・鴨からイソクラ、若丸山への周回でだが積雪期であり三角点石柱は雪の下だった。藪が雪の下に隠されると杉倉山頂直下の県境稜線周辺は雪原にブナが林立し見応えがあった。

 点名・杦谷、三等三角点、点の記記載所在地は福井県越前国大野郡西谷村大字温見字杦ヶ谷となっており明治28年埋標時のままだ。石柱は苔が付着している以外欠けもなく往時のままであった。三角点に触れるのは2度目で感慨を持って撫でた。

 下降はタガラ谷左岸尾根を下った。山頂直下と県境稜線直下斜面の藪の抵抗は相当手強かった。弁慶でさえも泣いたという足の脛は相当痛めつけられて何度か呻いた。沢靴で竹軸に乗ると足を取られて何度か滑り転んだ。しかし、それを過ぎると藪は薄くなり獣道に誘導されるままに下った。特にブナの巨木が残された森では藪も薄くなって春や秋なら素晴らしい尾根のハイキングが楽しめると思った。

 しかし、人が立ち入らない原始の森は熊の住処らしくデッカイ糞を残していた。休憩時に爆竹を鳴らしてこちらの存在を知らせておいた。

 帰り道は遠いとよく言われる。ダム湖畔の林道は支谷があると深く蛇行を繰り返して遠回りをさせられ気分が滅入る。僅かな登りがあると下りに上りが何故?とぼやいた。二人で他愛もない会話をしながら振り返ると出発時に見えなかった杉倉山頂が見えていた。午後7時前、ランプの世話にならず日没前に駐車地の扇谷出合に帰って来たが、やはり杉倉は遠い山であった。互いの健闘を称えて握手をした。ダイ君は「今まで経験した登山で一、二を競う記憶に残る山でした」と言った。若い頃、岩を完登すると必ずザイルパートナーと握手を交わしたがそれを思い出しつつ達成感に満足して彼の手を握った。

 我が家に帰って入浴時に確認すると向こう脛は紫色に腫れて、頸筋と右手肘の内側は藪漕ぎ中に虫でも這ったのか赤い粒々の湿疹が出来ていた。むろんかゆい。次の日の朝2階から階段を下りる時には足腰や節々が痛んだ。久方ぶりに山登りらしい山を行った後遺症であるが自信が湧いて、もう1年登山寿命が延びたような気がする。完

参考文献『美濃徳山の地名』発行 徳山ダム建設所

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