大垣山岳協会

扇谷から杉倉 2013.04.13-14

杉倉

月報「わっぱ」 2013年5月(No.378)

【 個人山行 】 杉倉 ( 1281.6m Ⅲ△ ) 鈴木 正昭

  • 日程:2013年4月13日(土)~ 14日(日)
  • 参加者:鈴木正、杉本眞
  • 行程:
    • 4月13日(土) 櫨原望郷広場(徳山ダムサイト)6:20─扇谷作業道─町道扇谷線合流7:30─滝ノ又谷出合(標高約480m)8:30~45─タケノネ尾根(仮称)─タケノネ平坦部11:10─県境尾根出合12:05(テント場)
    • 4月14日(日) テント場6:40─杉倉7:45~8:05─テント場8:55~9:50─滝ノ又谷出合12:05─新作業道出合1:10─望郷広場2:20⇒藤橋の湯
  • 地理院地図 2.5万図:冠山・美濃徳山

 一昨年4月初旬、私は単独で扇谷山域に入ろうとした。徳山ダム湖畔沿いに工事が進んでいた扇谷作業道を進んだが、終点以後の激やぶを突破できなかった。その作業道延長4㌔弱が3月末に全通して扇谷奥に接続した、と聞いた。チャンス到来だ。

 12日昼過ぎ、望郷広場から一人で作業道の偵察に出かけた。広場下の作業道入り口の鉄製ゲートをくぐり、扇谷陸部の接続地点まで行ってみた。全通とはいっても、素掘りの路盤ができた段階だ。各所で土石の崩壊があり車はとても通れない。しかし、たいした苦労なしに以前の町道出合まで着けることを確認して戻った。

 快晴、無風の翌13日朝、前日深夜合流した杉本さんと歩き出す。順調に町道合流点に着くと、後から2人の釣り人が追いついてきた。名古屋の人で、初めてこの道に入ったという。本当にびっくりした。我々以外にここに入ろうとする人がいるとは。

 町道扇谷線は7年間、自然の中に放置されたが、歩くには支障がない。かつての若丸山登山口だった滝ノ又谷出合にはツタの絡まった重機と軽トラックの残骸と4つの小さな小屋があった。その小屋裏から伸びるゆるやかで広い尾根、つまり滝ノ又谷と扇谷本流の間の尾根に取り付く。この尾根上部には昔、「タケノネ」という地名があった。焼き畑をしていた。標高900~1000mの長い平らな斜面だ。さらに1100mから上の県境尾根付近にも焼き畑があり「ウエノムツシ」と呼ばれたと、「美濃徳山の地名」(水資源機構発行)にある。

 急峻な斜面を上がると、尾根の背に明確な踏み跡。天の助けか。わずかな木枝を分けて快調に進む。標高800mを越したころ、状況急変。踏み跡が消え、時折現れたナタ目も消えた。太めの木枝の間を重いザックを背にして体をくねらせてくぐり進む。

 標高900m付近からやっと尾根に雪原が広がり始める。ブナの木がまばらに立ち並ぶだだっ広い平原の中を進む。この辺りがタケノネのムツシ(焼き畑のこと)があったところだろう。焼き畑時代の痕跡がないか、注意するが何も見つからなかった。やがて斜度がきつくなる。所々で雪の肌がはがれて、ネマガリダケや木枝が露出。足に過重な負担がかかり持病の筋肉痛が出始め、低速でしのぐ。やぶが消えて再び雪の平原が現れた。県境尾根だった。標高約1160m。ブナの壮齢木の下、平原のど真ん中をテント場とした。

 荷を置いて、東に向かい県境尾根を偵察。目的の一つは、美濃峠(別名杉ノ谷峠)の所在確認だ。昔、櫨原の人たちは扇谷をつめて、美濃峠を越して福井県西谷村の温見(現大野市西谷)に行き来した。峠を越えて歯医者への治療に出かけたともいう。だが、昭和初年には廃道となったという。

 峠の存在を記す資料はあるのだが、地図上の位置は不明だ。県境尾根上にあることは明確だろうが、タケノネ尾根との出合から杉倉までの間のどこにあったのか、説明する資料は見当たらない。旧櫨原住民の古老の話では「タケオネを登り切りすぐ東側に温見に通じる杉ノ谷が見渡せる峠があった。若いころ、峠を越し何度も温見に行った」という。ただ、そこを「美濃峠」と呼んでいたかどうかは不明だ。

 積雪1,2mほどの雪原を進むと、1167m標高点のすぐ東側の小さな丘。地形的にはここが峠の最適候補だろうと、杉本さんと意見が一致した。ここから北に杉ノ谷がのぞける。細いがゆるやかな支尾根が北に下りていた。辺りにはブナの老木、大木が複雑な格好をして立ち並んでいた。木の幹に峠の痕跡が記されていないか注意して見回ったが、何もなかった。(写真=峠付近から見た右、磯倉と左、能郷白山)

峠付近から見た右、磯倉と左、能郷白山

 14日朝、やや強い風がブナの木枝を鳴らす中を杉倉に向け出発した。広いスキー場のような尾根筋から東に雲に隠れた能郷白山と磯倉が並んでいた。南方から白い雲の塊が両山の間のコルを勢いよく通過して福井側に押し寄せていた。荷が軽く暖かい割には適度に締まった雪面。見通しはよい。軽快に進む。途中、美濃峠のもう一つの候補地である杉倉南部の平原(アマノガワラ)でも木の幹を注視して歩いたが、何も得られなかった。予想外に早く丘の上の杉倉山頂に着いた。昨秋に福井側から登った時の記憶から三角点を探すが、すべて雪の下。下山の途に付くころ、雲が減り磯倉や能郷白山が顔を出した。緩い斜面の正面に黒と白のまだら模様の若丸山、その左右奥に福井県境尾根上の白い山嶺が浮かんでいた。

 以前この一帯には天然杉の巨木が林立していた。杉倉の山名の由来にもなったようだ。昭和40年以降の大規模皆伐時代にその大半は消滅したが、一部は残っているかもしれない。だが、見渡してもあるのは広葉樹二次林だけだった。タケノネ尾根の下山は順調だった。一度、尾根分岐で間違いかけたが、すぐコース修正できた。

 標高800m付近の緩斜面で妙なモノを見つけた。20mほどの木の上から細いロープが垂れ下がりその先に土の入ったビニール袋が地上に落ちていた。何だろう。しばし考えたが分からなかった。後で地元の人に聞くと以前、クマ猟に使ったモノらしい。檻にクマが入り扉が閉まるとロープが切れる。するとその先に結わえたビニール袋が樹上から落ちる。ビニール袋が樹上になければ、檻にクマが入ったことがすぐ分かるようにした仕掛けだ。近くに古い檻がなかったか、と聞かれたが、うかつにも探さなかった。この方式は後にアラーム音を出す方式に変わり消滅したと、いう。

 町道扇谷線から新作業道を歩き始めて驚いた。路面にブルドーザーのキャタピラー跡がついていて、散乱していた土石が消えている。さらに、大規模な崩落土石区域も整地され、車が通れる状態。私たちが通過した後、改修工事をしたらしい。

 作業道は徳山ダム上流域の公有地化事業に伴う山林保全事業のためのもの。工事資金はダム建設費の中から出ている。道の主な役割は扇谷流域の人工林の天然林化の施業とされるが、その具体的な道筋はまだ何も決めていないという。

<ルート図>

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