月報「わっぱ」 2014年2月(No.387)
【 冬山合宿 】 西穂高岳 ( 2908m Ⅲ△ ) 北川 洋一
- 日程:2013年12月31日(火) ~ 2014年1月2日(木)
- 参加者:L.佐竹良、SL.西村洋、杉本眞、平木勤、北川洋、後藤正、林旬子、大野ひ
- 行程:
- 12月31日(火) 大垣4:00=新穂高駐車場9:20-穂高平11:05-1949m峰(テント場)15:00
- 1月1日(水) テント場8:30-2343m峰(テント場)12:10
- 1月2日(木) テント場8:50-1949m峰12:00-穂高平16:05-新穂高17:30
- 地理院地図 2.5万図:笠ヶ岳・穂高岳
西穂高岳西尾根冬山合宿(2343m峰で退却)北川 洋一
飛騨方面は年末年始にかけ降雪の予報。大丈夫かな。不安を抱きながらの出発。60cmほど積雪のある右俣林道を歩き出し、穂高平小屋に着く。先人のトレースを探すが、ここから西尾根への直登コースには跡はない。広々とした牧場を縦断しているトレース跡を辿る。と言っても前日からの降雪と重い雪で先頭は厳しい。折から日差しも出てきて大汗をかいた。トレースを追い、穂高平最奥の小鍋谷に近い位置から枝尾根に取り付く。取付きからは急登の連続。柔らかい雪を踏み固めながらの登高でなかなか思うように進まない。交替しながらのラッセルは徐々に体力を奪う。
それでも、私の予想より相当早くテント場に予定した1949m峰に着くことができた。平木、後藤両氏のガンバリに感謝。後続組の着くのを待って全員で整地作業。気温が低いためか、靴では上手く締まらず苦労した。雪が降りしきる外とは別世界の暖かなテント内で、ハードなラッセルで痛めた身体をいたわるささやかな宴。陶然として疲労が消えるような気分だ(写真①)。
新年の挨拶があったような無かったようなあわただしい元日の朝だった。本日の行程は標高差400m、距離1.5km。楽勝だ、と思ったのは早計で、新雪は50~60cmはあろうか。わずかに残るトレースを追って出発した。
平均して膝上くらいのラッセル。時には腰高の雪を漕ぐこともあり前日の疲れに追い打ちを掛ける。シラビソの枝には積もった雪の大きな固まり。それが落ちてこないことを祈りながら下を潜れば低い枝の雪が顔にはねる。テント場予定地の2343m峰には十分な広さがあったが、ここでも雪質が柔らかく踏んでも締まらず、整地に意外と手間取った。テント設営後は明日の登頂に向けてのルート工作を予定したが、降雪が続くので中止。テント内で夕食までのんびり、ゆったり時間を過ごした。夕食時、CLとSLの話合いで雪の具合や量、天候などから登頂は無理と結論。翌朝撤収と決まった。
2日朝、外に出ると三分の一程テントは埋まっていた。前夜も雪は降り続き、風が荒れ狂っていた。時折シラビソの枝からテントに雪のバクダンが落ち目覚めた。積雪は1mを超えたようだ。今日は下るのみだという楽勝予想は再び外れた。出だしから自力脱出不可能な落とし穴が待っていた。積雪の下に50~60cmの空洞。腰から胸辺りまで沈み込み、もがけばもがく程更に沈み込む。アリ地獄のようだ。倒木や木枝で雪の洞穴ができたのだ。助けを借りながらなんとか脱出するも体力と時間が奪われる。トップは十数回も落ちた。単独行だと遭難するなと思った。
痩せ尾根の吹き溜まりでは胸高のラッセルを強いられた。埋没する危険と深いラッセルに悩まされながらの下降が続く(写真②)。やがて、左手に千石尾根のロープウエイが見えた。天候が回復してきたのだ。初日のテント場はすっかり雪に覆われ跡形もなし。ここから蒲田富士、西穂に続く西穂西尾根がクッキリと望めた。
私が先頭を歩いていた穂高牧場の真ん中で黒い動物が目の前10mほど先を横切った。「クマだ」と叫ぶが、「冬眠中でいるはずないよ」という声が聞こえた。姿を消した動物は直後、また姿を現し、丘の向こうに消えた。みんなクマと認めた。子どもクマらしいが、我々の奮闘を祝いに来てくれたような出現であった。
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