【 一般山行(春山ミニ合宿) 】
唐松岳 ( Ⅱ等△ 2696m )、五龍岳 ( 2814m △なし ) 長野県北安曇郡白馬村
NT
2日目 唐松岳往復編
唐松岳往復隊:SL.NT、KM、KT、KF、SK、MY、YC
5月4日(土・祝) 快晴
- 唐松山荘8:19-八方池リフト乗り場11:58
五龍岳へ周回下山するNH.L、HT、SD、NY、HMを山荘前で見送った。若い日の春山合宿は集中登山が定番で本隊とは別行動のハード登山ばかりだった。今更ながら育ててくれた先輩に感謝をするとともに彼等の懐の深さと大きさに気付かされた。
五龍隊を見送った後は山荘裏の高みでご来光と剱岳のモルゲンロートの撮影時間待ちとなった。太陽は戸隠山と高妻山の後方から4時49分に上がったが素人のご来光撮影は難しくNY君のを借用した。それに剱岳は金色に染まらなかった。
唐松岳往復隊のSK、KM、KT、KF、YCは早起きして唐松山頂へ再びアタックした。小生は暖房の効いた山荘から離れられず2度寝して待機していた。山頂は彼等の写真の様子から相当寒かったようだ。
朝食後、清水を含む6名は下山前に山荘南隣のピークを登りに行った。下から見ていると途中で岩場が有ったのだろか危うい格好をしており少し心配したが全員頂に着くと手を振って応えてくれた。青空に両手を振る姿が浮き出ていた。
小ピークの上で仲間達
雪の柔らかくなるのを待って遅い出発とした。背後に気配を感じないので振り返ると仲間は立ち止まっていた。去りがたい気持ちはよくわかる。未練たらしく眺めて下ろう。
乗越を東に下れば此の景色ともお別れである。年齢的にも山荘も含めて来ることはないだろうし裏剱も見納めだろう。後立山最高の展望台に背を向けた。
出発を敢えて遅くしたのは唯一危険個所の此処の雪が柔らかくなるのを待っていた。幸いロープがセットしてありスリップしても離さねば大丈夫である。
雪はこちらの思惑通りに柔らかくなっていた。大勢に踏まれたトレース跡より踏み跡が少ない雪面の方が踵を利かしたキックステップに有効で歩きやすい。
次は少し急になった斜面をキックステップとピッケルのコンビネーションで下降した。この時ピッケルの持ち手は利き手でピッケルのピックは山側を向いているように持つ、これはスリップした時に滑落停止の姿勢がとりやすいからである。ピックが谷側を向いていると持ち替えが必要となるからだ。登りの際の持ち方は自由で良い。
斜面途中でのアイゼン装着、この時ザックを降ろす前にザック置き場をピッケルのブレードを使って雪面にバケツ状の穴を掘ってザックを置く、更にピッケルのシャフトを肩ヒモに通して深く差して落下防止を図る。アイゼン装着は必ず山側を向いて行う。
このコース一番の急斜面だが今日のメンバーなら雪の状態を鑑みればキックステップで下降出来たが敢えてアイゼンを装着した。ピッケルとのコンビネーションでの練習である。この冬は異常に雪が少なくピッケルやアイゼンの練習が思うように出来なかった。
八方尾根で見つけた明治期農商務省山林局の石柱天端が丸い三角点である。多くの登山者は見向きもしないが嘗ての藩有地が明治政府官有地となった。北アルプスにはこの種の三角点が多く残されている。北アの原生林はモミやカラマツなど商業価値が低くいが徳川家直轄林から宮内庁御料局管理となった木曽や飛騨の資産価値の高い御料林は皇室財産区となった。御料局三角点は石柱天端の四隅が三角形に削られている。
ハイ松以外の緑のない岩尾根で15㎜ほどの可憐なリンドウを見つけたがハルリンドウにしては小さい。立山みくりが池周辺で見たタテヤマリンドウに似ているがどうなのだろう。タテヤマリンドウは中央付近に斑点があるようだが、このリンドウには無いようだ、
リフトの乗り場終点の八方池山荘までに傾斜地を捜し滑落停止訓練を行う予定でいたが適当な斜面が無くて中止にした。五龍隊との交信によると彼等は既に危険個所を過ぎて順調に下山しているようだ。リフトから五龍と鹿島槍を振り返って見納めの写真を撮った。
八方駅から遠見尾根のゴンドラ駅へ車を廻して五龍隊に合流すれば春山ミニ合宿も終わる。彼等の道中の報告を楽しみに八方尾根に別れを告げた。
№3五龍隊報告へ続く
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