大垣山岳協会

残雪を求めて・冠山 2023.03.28

冠山
塚から見上げる朝の冠山南壁

【 個人山行 】冠山 (1256.6m Ⅲ等△ )揖斐郡揖斐川町塚奥山 NT

 未だ3月というのに我が家から見る伊吹山は雪が無い。国道417号旧徳山村塚駐車場への開通を聞きつけ福井県境の冠山へ行った報告である。(塚から見上げる朝の冠山南壁)

<ルート図>
  • 日程:2023年3月28日(火) 晴れ
  • 参加者:NT、MT
  • 行程:塚駐車場6:33-ジャンクション10:44-冠平11:42-冠山頂12:03~53-ジャンクション14:31 塚駐車場17:23
  • 地理院地図 2.5万図:冠山


 残雪期の冠山へは鯖江誠照寺の巡錫の僧が越えたと伝わる古道の俗称坊主尾根を使った。このルートはヒン谷の渡渉が難点である。登山靴をビニール袋で覆って早足で渡った。

 廃林道をヒン谷に沿って少し遡り獣道を利用して尾根に取り付いた。ヤブツバキを掴んで急登を登りきると天然の大ヒノキが、誠照寺の使僧もここで一息ついたのだろうか。

 目指す冠山南壁はシタ谷対岸に絶えず見えている、だが木々が邪魔をしてシャッターチャンスは少ない。標高を稼ぐ毎に表情を変える冠山をご覧いただきたい。

 尾根に上がりきると傾斜が落ちて歩きやすいブナの散歩道が続いた。何となく道跡のように見えるのだがお分かりか?

 「憂は馬坂、辛いは冠、のりの長いは田代道」と徳山盆踊りで歌われた冠ヶ峠越えの道。村人は使僧を背負ってこの尾根を越えたと伝わるが険しさゆえに明治になると桧尾峠にその地位を譲った。そんな歴史を見て来たであろうコブコブの老ブナと冠山南壁。

 やっと尾根に雪が出て来たので敢えて雪の上を歩いた。それにしても根曲がりブナの曲線の美しいこと。

 冠山南壁から東尾根が正面に見え出し山頂は槍のように尖って来た。東尾根はシタ谷へ落ちており尾根というより稜と呼ぶがふさわしい。初めて冠山に登った時はシタ谷を遡行し東尾根から山頂に立った。勿論三道具を使用してのクライミングで最初の1ピッチが厳しかったと記憶している。当時は冠山に限らず奥美濃の山のほとんどに道はなかった。

 落ち葉の上に開花したイワウチワを見つけた。今シーズン初めての花見となって思わず声が出た。オジイ二人で会話も少なかったが春を見つけてちょっとは盛り上がった。

 標高950mから再び急登が続いた。大きな岩を幾つか捲いて獣道を辿ったが水分を含んだ泥でよく滑った。ようやく高みの雪原に出たのでジャンクションかと思ったが県境はまだまだ先で有った。馬の背のような若丸山と奥に磯倉と能郷白山が見えた。

 これまで雪が無かったのが信じられないくらい尾根には雪がビッシリ、このまま残雪の上を県境のジャンクションまで歩けると確信していた。

 ところがジャンクションを前に猛烈な藪が、笹と灌木で真っ直ぐ進めない。ストックが邪魔で放り捨てたい気持ちになった。

 今度こそジャンクションピークへ向かって豊富な残雪が途切れそうになく続いていた。

 冠山東尾根が正面に見えて突兀(とっこつ)の表現がぴったりの山容となった。左に藤倉、釈迦嶺と笹ヶ峰が見えた。

 ジャンクションでスパッツの手入れをする「ター坊(74才だが)」白山と別山が正面奥に見えて別山の右手前に荒島岳が、白山の左手前は銀杏峯と部子山、すぐ前はアラクラ。

 ジャンクションから斜面を駆け下って、と行きたいが北面の為思った以上に雪が硬く夏靴の踵が柔らかくてキックステップの効きが甘く滑った。貧雪を予想し冬靴がもったいないとケチったのがいけなかった。

 冠東尾根の北面が見えるようになった。笹の上は雪が薄く今にも起き上がって来そうだ。

 冠ヶ峠が有ったと思われる池田町田代と大野市の境界尾根の起点1190m辺りである。恐竜の背のような東尾根がシタ谷へ急傾斜で落ちている格好いい。

 雪が切れてとうとう藪漕ぎを強いられる、此処まで来て諦めるわけにはいかない。尾根芯を行くと何となく嘗ての踏み跡らしきが有るような、灌木がないだけ助かった。

 冠平の手前から笹の丈が低くなり歩きやすくなった。昭和30年福井銀行の行員の遭難碑。

 山頂への下部岩場は残雪がなく夏と変わらないが冬の間に降雪で磨かれて綺麗であった。上部岩は雪田になっており右斜面の際を登り雪が切れる寸前の上部で夏道へトラバースした。ピッケル無しのツボ足だったので慎重に行動した。

 山頂着、北方向の間近に部子山と銀杏峯、奥に白山と別山が見えて別山の右手前に荒島岳が見えていた。

 冠山頂から西方の金草山と白倉山の双耳峰が大きく格好いい、その隣が藤倉でウソ峠、高倉峠を挟んで釈迦嶺である。

 釈迦嶺の左に笹ヶ峰、離れて美濃又丸が有り不動山、千回沢山が確認出来た。

 辿って来た県境稜線と坊主尾根が一望である。背後に磯倉と能郷白山。能郷白山の左は姥ヶ岳である。若丸山は坊主尾根と能郷白山に挟まれて小さく見える。

 飽きない眺めは時間の経過を忘れさせる。だが少し陽は長くなったとはいえ帰りの距離と年齢を鑑みれば長居は出来ない。県境稜線の笹薮に帰って行くのは憂鬱だが、勇気を奮い立たせ重い腰をあげ74才の2G(ツージイ)は山頂を後にした。完

コメント

  1. 西岡 より:

    素晴らしい冠山の踏破 興味深く拝読させて頂きました。74歳のお2人の様ですが羨ましい活力ですね。
    昔大垣に住んでいて奥美濃大好きでした。
    この奥深い山々懐かしいです。特に山々の名前が出てきますので写真見ながら一生懸命探しています。
    写真も素晴らしい。文面も少ないけどわかりやすいし写真も素敵でした