月報「わっぱ」 2014年5月(No.390)
【 個人山行 】 冠山 ( 1256.6m Ⅲ△ ) 丹生 統司
- 日程:2014年3月29日(土)
- 参加者:丹生統司(単独)
- 行程:徳山・塚駐車場6:00-834m峰9:40-県境尾根1262m峰10:30-冠平11:20-冠山頂上11:50~12:15-1262m峰13:35-塚駐車場15:55
- 地理院地図 2.5万図:冠山・美濃徳山
揖斐川東谷の最奥の塚地区からシタ谷と中ノ又谷を分ける尾根が福井県境稜線に向かって伸びている。ここに古代から美濃徳山と越前田代を結ぶ古道があった。それは生活材の交易路であり、血族関係の成立や親族交流の道でもあった。また、鯖江の真宗誠照寺派の巡錫「おまわり」の帰り道に毎年利用された。その後、より楽に通れる桧尾峠経由の道にその地位を譲り、さらに揖斐川下流の岐阜・大垣との自動車道ができた30年代前半にこの尾根道は捨てられ林藪(りんそう)に埋もれた。
この古道から冠山への登山は雪解け前の今が唯一の好機だ。駐車場から渓流足袋でヒン谷へ下降して膝上の渡渉。対岸で登山靴に履き替え、ヒン谷を50mほど遡って尾根に取り付いた。急傾斜だったが、群生する藪椿をつかんで腕力に任せて登った。100mほど登ったシタ谷側で直径1mを越える樹皮がよじれた古木の天然ヒノキを見つけ写真に収めた。
標高650mくらいで傾斜が緩くなり雪が出始める。雪面が途切れずに続くと輪かんを着けた。700mを過ぎると、やがて雪が消えだし、雪田を拾うも尽きて輪かんのまま腐葉土の上を歩くことしばしば。結局傾斜が強くなり輪かんを外して以後頂上まで壺足歩行。
冠山の山容の変化をカメラに収めることも今山行の目的の一つだった。シタ谷出合から仰ぐ冠山は峻嶮な南壁が畏怖(いふ)し黒い要塞のようだった。高度を稼ぐほどに対岸の南壁が細くなる。だが、やぶに邪魔をされ写せない。1200mほどでチャンスが訪れカメラに収めた。冠はシタ谷上部から東尾根の岩稜を突き上げ、それを中心に南壁と北壁とを分け岩塔を天に向けて突兀(とっこつ)としていた(写真①)。
能郷白山や福井北方の山々が一望できる1262m峰から広い尾根を冠平に向けて進む。帰りの天候変化に対応すべく赤布をこまめに付けた。1180mの鞍部を過ぎるとシタ谷からの猛烈な風にさらされた。
冠平は笹原が一部出ていたが歩行に支障はなかった。正面の夏道沿い雪壁を見ると、一人の登山者が登っていた。ところが雪壁の端に夏道を発見したのか、高度感に不安を覚えたか途中からトラバースを始めた。危なっかしく見えたが、無事に渡り終えた。なぜトラバースをしたのだろうか。私は雪のない斜面を最短で直登して彼から5分ほど遅れて頂上に立った。
頂上からの展望は霞んで北アは見えず、白山は薄っすらとしか確認できなかった。近接の山々は笹ヶ峰・美濃又丸・蕎麦粒山・金糞岳・天狗・ミノマタ・能郷白山・若丸山・荒島岳・銀杏峯・部子山辺りまでは明瞭に確認出来た。
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