月報「わっぱ」 2022年10月(No.491)
「奥美濃の山」登山小史(5) - 昭和から平成、令和へ 編(1) - 清水 克宏
前回記した今西錦司の『ぎふ百山』に対する叱咤激励を受けて、最終文責を務めた高木泰夫と酒井昭市はさらなる活動を始めます。
1980年(昭和55年)から1985年(昭和60年)にかけて、酒井昭市が中心となって岐阜新聞に『続ぎふ百山』として新たに130山を掲載します。酒井は平成3年に志し半ばで他界しましたが、故人の遺志を受けて、1993年(平成5年)に岐阜新聞社から『続ぎふ百山』が刊行されます。
一方、高木泰夫は1987年(昭和62年)に『奥美濃 ヤブ山登山のすすめ』(ナカニシヤ出版)を刊行します。これらの活動により「奥美濃」は関西、中京の岳人の登山の対象として脚光を浴びます。そのため、平成に入り奥美濃に関する山岳書が多数出版されます。この時期、調べた限りでは次のような本が刊行されています。
- ➀ 1993年(平成5年)『続ぎふ百山』(岐阜新聞社)
- ② 同年 高木泰夫著『改訂版 奥美濃 ヤブ山登山のすすめ』(ナカニシヤ出版)
- ③-1 1996年(平成8年) 大垣山岳協会編『美濃の山[第1巻]揖斐川水系の山①』
③-2 1997年(平成9年) 同会編『美濃の山[第2巻]揖斐川水系の山➁・長良川水系の山』
(なお『美濃の山』は 1998年(平成10年) [第3巻]木曽川水系の山 をもって完結します。) - ④ 2002年(平成14年) 吉川幸一(元、当会会友)著『こんなに楽しい岐阜の山旅100コース 美濃[上]』(風媒社)、
- ⑤ 同年 大垣山岳協会編『未踏の岐阜県境800キロを歩く』(岐阜新聞社)
- ⑥ 2003年 吉川幸一著『こんなに楽しい岐阜の山旅100コース 美濃[下]』(風媒社)
- ⑦ 2005年 八代竜也(元、当会準会員)著『奥美濃のヤブ山』(まつお出版)
- ⑧ 同年 ぎふ百山を登る会編『ぎふ百山を登る』(岐阜新聞社)、
- ⑨ 同年 富永豊(八日市山の会)著『増補版奥美濃とその周辺の山130山 ブナ林の山旅の記録』(サンライズ出版)。
そのうち、③は当会「奥美濃」探求の金字塔ともいえる成果で定本の位置を占め、後続の類書にも影響を与えました。
しかし、このような出版ラッシュは2007年(平成19年)高木泰夫著『三訂 奥美濃 ヤブ山登山のすすめ』(ナカニシヤ出版)をもって終焉します。というのも2008年(平成20年)に徳山ダムが完成し、日本一の湛水面積を誇る徳山湖が出現します。旧徳山村は最奥の門入集落を残し全村水没しました。そして、揖斐川源流部の山々を公有地に買い上げることを前提に、これまでアプローチに使われていた林道は付け替えをしない方針が打ち出されたのです。そのため、従来日帰りも可能だった不動山や千回沢山などは、戦前のようにホハレ峠を越えて徒歩で門入集落に入り、そこから入山する必要があるため、標高千m余にもかかわらずアプローチだけに1~2泊必要な、岐阜県で最も遠い山になってしまいました。
(敬称略、続く)
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