月報「わっぱ」 2016年9月(No.418)
アンジュマン峰初登頂記念碑の 新天地を祝う
お盆を迎えて黄泉の国から「ようやってくれた。ありがとう」と、銀ちゃん(故高木碕男)、泰っさん(故高木泰夫)、隊長さん(故武藤嘉彦)ら、彼の地に旅立った人から喜びの声が届いた。
過ぎし日、病臥の高木泰夫会長を訪ねた折、大垣市青墓の市青少年活動センターに建つシャー・イ・アンジュマン峰(6026m)記念碑は、今どうなっているだろうか、と聞かれたのが気になり、2年ほど前に現地を訪ねた。
大垣山協草創期の輝かしい足跡を語る記念碑が姥捨山に放ってある様に感じて、理事会に「どこか市民の目に入りやすい場所に移設しては」と提案した。この度、堀義博会長のお骨折りで大垣市体育連盟のご理解、ご協力を得て絶好の地、市の浅中公園野球場内への移設が実現しました。山協会員の一人として大変嬉しく感謝致します。
1968年7月のヒンズークシュ・ヒマラヤ遠征は大垣市制50周年記念事業の一つで、当時の山本庄一市長は報告文に「アンジュマン峰初登頂は真に賞賛されるべきであり、若い世代に『成せば成る』を身をもって教えてくれた」と述べられた。また、武藤隊長は「青年が希望を抱き、しかも実現に情熱と努力を傾けるならば、何としてでもその夢を達成させてやりたい。一見途方もない計画でも」と遠征報告で述べられている。
この事業に関わった一人として、未だ脳裏に残っていることがある。シベリア鉄道経由、船便で横浜港に帰国した遠征隊を出迎えた際、山本市長が元気な隊員の顔を見て感涙にむせぶかのようにあいさつした一場面です。一等地に移された記念碑はきっと若い人たちへの応援歌となることでしょう。
(渡辺 一光)
コメント