大垣山岳協会

蠅帽子道の存続を願う人々

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2015年11月(No.408)

蠅帽子道の存続を願う人々

 蝿帽子道(官道蝿帽子峠道)とは中世から戦後まで、美濃の根尾(現本巣市)と越前大野(現大野市)を結んでいた険しい山越えの道であった。私は10月18日の当会山行に参加して、その道を歩いた。13年前の5月に単独で登って以来の再登だ。驚いたのは、登山口のすぐ近くにある根尾西谷川渡渉点にフィックスロープが張ってあり、さらにその先のお地蔵様のまえに「乳くれ地蔵」と記した真新しい看板があったことだ。その後も要所に新しい道標があった。ごく最近、誰かが整備したに違いない。

峠のお地蔵さん

 蝿帽子道は幕末の1864年12月、水戸天狗党が通過した道であり、また鯖江の誠照寺の使僧が美濃の根尾・徳山の信徒への教化巡錫に毎夏通る入り口の道だった。戦後間もない頃まで、美濃、越前山間部の生活路だったが、その後忘れ去られた。

 後日、本巣市根尾教育事務所に聞いてみて、官道整備の経過が分かった。地元根尾では乾信さん(77)を中心とする住民が20年近く前から古道の歴史を人々に知り触れてもらう必要があると、整備事業を進めてきた。今年の7,8月には2回現地踏査をし、詳細なコースを調べ、それを基にして渡渉用ロープを付け、新しい道標を数カ所に設置したという。

しかし、全くの民間有志の活動なので、人手や経費不足もあり、刈り払いや歩道の補修工事までするには至っていないようだ。私たちの山行でも相当な木枝のやぶを潜った所もあった。

 放っておけば、深いやぶの下に消えようとする官道蝿帽子道。その跡をなんとか残そうとする地元有志たちの根気と熱意に頭が下がる。地理院地形図には今でも官道のコースが波線で記載されている。ただし、岐阜県側だけで、福井県側は既に廃道と認めて抹消した。地理院側は乾さんらの努力を知り、波線記載を維持すると約束してくれたそうである。

(鈴木 正昭)

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