大垣山岳協会

奥美濃・左門岳 2020.08.06

左門岳

【 個人山行 】 左門岳 (1224.20m Ⅲ△) 丹生統司 

  • 日程:2020年8月6日(木)晴れ
  • 参加者:丹生統司(単独)
  • 行程:根尾東谷川標高540m堰堤横駐車地7:15-ヘルメット・尾根取付き標高820m9:00-山頂10:35

 左門岳は昭和51年7月に一度訪れている。当時の武儀郡板取村の川浦谷が山岳雑誌『岳人』で紹介されたのを読んだ会員の一人が「いい谷がある是非!」と誘われた。銚子洞から大滝を越えて沢ノ又経由で左門岳に登り大平を下降して銚子洞へ周回した。銚子の大滝へ至る岩門の通過や大滝から上部の渓相美、何より川浦谷の水の透明度にすっかり魅了された。その頃の大滝から上部はイワナの宝庫で夕飯のオカズに参加メンバー1人2匹をあっという間に釣り上げた。その年の10月には西ヶ洞からコゼイ洞経由でドウの天井に登り箱洞を下った。現代ではコゼイ洞は川浦ダムの底に沈んでしまった。いい時に登ったと思った。

 しかし当時の私達は登るだけで記録も写真も残していなかった。そういうレベルの山だと、アルピニズム全盛の時代でもあった。高木泰夫先生に「山登りは報告書を出して終わる」といつも諭されていたが70才を過ぎて「もったいなかった」と若気の至りを反省している。

 先日左門岳で遭難騒ぎが有った。上大須ダムから山頂に立ったので有るが下降で板取側の大平に迷い込み銚子大滝の上で発見された。左門岳に上大須側から登山道が開かれているとは知らなかった。近い所であり山頂付近の遭難に至った藪の確認と40数年ぶりの懐かしさもあって登ってみることにした。

 上大須ダムから見た左門岳である。ダム湖左岸を走ると東河内谷と根尾東谷川が合流する手前で橋を右岸に渡り根尾東谷川を遡ると堰堤と建物がありそこの膨らみに駐車した。

 舗装された林道はすぐ地道となってこの長雨で雑草が繁っていた。谷道になると渡渉を何度か繰り返した。丸太を2本並べた橋は濡れて滑りそうで、それに相当古かった。

 谷に入ると使用済みで捨てられたモノレールが洪水や流木でへし曲げられていた。その悲しいカーブが上流へ道案内をしてくれた。谷の岩は長雨で苔むして滑りやすくヒルも気にしながら足元に注意して歩いた。

 谷の斜面は沢胡桃が多くて木陰をつくり時折湿気を多分に含んだ風が吹き抜けて心地よかった。

 長雨で谷水は多いと思われる。小滝は多いが特別大きな滝はなく左門岳東面の深く切れ堕ちた板取川浦谷とは趣を変える。

 標高815m辺りに古いヘルメットが2ツ捨てられていた。大きな滝や地形等目当てにするようなものが少ない谷なので木にぶら下げておいた。これを過ぎると谷は二股となる。左右の谷に分けられた尾根を登るが傾斜は急で主尾根に出るまで約200mの我慢である。

 標高1050mで主尾根に出ると傾斜は落ちた。プラスチック階段が出て来ると道はしっかりして来た。やがて根曲がり竹が道を覆うが踏み跡はしっかりしている。目印も多い。うるさい藪を鉈で払って登った。

 根曲がり竹が覆ってトンネル状になった藪を片手で顔に当たらぬように払いながら歩くといきなり切り開かれた山頂に出た。円形状に3mほどの赤土が踏み固められて下草も生えていない。登山者が多いのだろう。残念だが眺望は全くなく特に東の板取側にミズナラ等の高木が目立った。

<ルート図>

 帰りは遭難事例もあり踏み跡を外さぬように注意した。特に市界尾根から板取側への藪の獣道等を注意して観察した。獣道と登山道は踏み跡の広さと地面の踏み固められ方が明瞭に異なっていた。冷静に判断すれば登山道は目印も多く3分も歩けば異変に気付き5分も歩けば間違いに気付くはずである。どうして大平から銚子大滝まで下降したのか、疲れて登り返す気力を無くし成り行きに任せたのか。板取側は谷の渓相が根尾東谷とは全く異なり険しい。最悪の事態にならなかったのは山の神様が助けてくれたとしか考えられない。

 毎度言うことだが3分も歩けば「おかしい」と異変を察知しなければいけない。先ず立ち止まって「コンパスで方位を確認」「地形図で進行方向の確認」を行う。間違いに気付いたら引き返す。最悪でも山頂に戻れば必ず道はあり道のない山でも現在地が確認出来る。

 山登りの敵は「面倒くさい」等の横着であり「成り行き」に流されないことである。完

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