大垣山岳協会

奥美濃の長い尾根・左門岳 ~ 屏風山 №2 2022.03.08-10

屏風山

【 個人山行 】 左門岳 ( 1223.5m Ⅲ△ ) ~ 屏風山 ( 1354.1m Ⅱ△ ) 丹生 統司

 揖斐の山々から北東に見える屏風山はピラミダルで直ぐに特定できて山座同定の要である。若い時代から冬季に訪れたいと思いつつ遠いことを理由に先延ばしにしていたが登山余命幾許も無くなりラストチャンスと言い聞かせて挑んだ。

<ルート図>
  • 日程:2022年3月8日(火)~10日(木)
  • 参加者:丹生統(単独)
  • 行程:後述
  • 地理院地図 2.5万図:平家岳

3月9日(晴れ) 屏風山編

  • 県境尾根標高1180mキャンプ地5:45-標高1106mV字折り返し9:30-屏風山東尾根取付11:25-屏風山山頂13:30-県境尾根標高1180mキャンプ地20:10

 午前5時45分ヘッドランプを点灯してテントを後に屏風山へ向け出発した。先ず西方へ標高差で200m下降し50m登り返して弧を描くように尾根は北上した。今日は長時間労働、強行軍の覚悟であるが早く帰って上大須ダムまで下山したい。白山の夜明けである。

 左門岳を振り返る。右から3番目のピークがテントサイト地、尾根が右下に緩やかに下っている。これが県境稜線で屏風山へのルートである。約200mの下降だが尾根が本当に繋がっているのか不安になるほど下っていた。

 県境尾根には天然檜の巨木が数多出現、写真だけでも20本ほど撮影した。ブナやミズナラの巨木、老木も有ったが、それが気にならぬほど天然檜の巨木には目を奪われた。

 1106mのV字折り返し迄は右手側の雪庇に注意して歩く、尾根は風が抜け道となって凹凸が有り写真で見るより高低差のあるきつい上り下りが有った。足跡が唯一の分身である。

 屏風山が近くなったが、1106mのピークへ向かう為また離れていく。屏風山手前の尾根が1106mのピークから折り返してきて山頂に向かう県境稜線である。正面の山頂に続く尾根は県境稜線ではなく、その左の雪稜である。(結果的に山頂へは正面の尾根を登った)

 1106mピークへは120mの急登であった。登りきると折り返しで尾根は下りながら南東に進み着実に屏風山が近くなって来る。一番手前の尾根が県境稜線で屏風山の左の尾根に向かってカーブを描いてつながっている。

 折り返して屏風山へ向かう途中で振り返れば平家岳と美濃平家岳が双耳峰に見える。手前の尾根は左門岳から辿って来た県境稜線である。

 屏風山が近くなって山頂へ続く県境稜線に雪崩跡を発見した。狭いピラミッド状の山頂に雪庇が出来ることは予測できた。最小の所を切ってピッケルとバイルのコンビネーションで乗越す覚悟で有った。しかし登路県境稜線の雪崩は計算外で1mほどの段差を目視で確認して迷った。取り敢えず近くまで行きルートとして使えるのか確認することにした。

  いよいよ不安定な雪崩跡がはっきり確認出来るようになると、このまま県境稜線を詰めても屏風山を登れなかった言い訳捜しに登行しているように思えた。危険を冒す必要はない。より安全に山頂へ至るルートを捜す方が賢明である。ここまで一泊迄してラッセルした苦労が報われるように視野を広げるのだ。年齢を考えれば次に冬の屏風山に挑むチャンスはない。多雪の今季は一番きれいな屏風山に登るチャンス踏ん張りどころだ。

 見れば、右の谷が浅くなってきており10mほど下って横断すれば隣の尾根に簡単に取り付けそうだ。遠くから見ていた時には、この尾根が山頂へ続く県境稜線に見えて勘違いしていた。気掛かりは山頂に大雪庇と直ぐ下にクラックも確認出来ていた。しかし、山頂への登路はもうここしかない。谷を横断し、その尾根の斜面に取り付いた。傾斜は強いが樹木が有り雪崩の危険はないと判断した。斜面の途中から県境稜線と横断した谷を写真に収めた。

 尾根上の天然ヒノキを目指した。あそこ迄行けば上部の尾根が確認出来るはずだ。

 苦しい登行の急斜面を登りきり尾根に上がるとペースが速くなった。一度諦めかけた山頂であったが希望が再び湧いて来て頭上の大雪庇やクラックの心配事も一時忘れた。

 尾根は左の谷側に巨大雪庇が張り出しており崩壊個所が幾つか有って雪崩を起こし横断した所の70mほど上で止まりデブリを造っていた。

 左側にカモシカと思われる足跡が有りその右を歩いていたら左足が突然隠れていたクラックを踏み抜いた「ビシッ」ヒビ割れが10mほど走って慌てて修正した。帰りに見るとヒビ割れは20㎜ほどに広がっていた。(帰りに撮影)

 県境稜線、山頂への登路斜面の雪面崩壊が良く見える。危なくて近づけない、この尾根に変更した判断は正解だった。

 この尾根の北側、福井側の中ノ水谷へ降りる尾根は不安定な雪庇の連続で斜面にはズタズタのクラックが、危なくて近寄る気も起きない。

 山頂の大雪庇が威嚇し、その右下にクラックが口を開けている。雪は締まっており状態は良い、雪崩の心配はないと判断した。カモシカの足跡に誘導されて高度を上げて行った。

 いよいよ山頂が近くなったのでピッケルをザックから取り外しストックを1本仕舞った。バイルは大雪庇を避けて右から回り込めば必要なさそうに見えた。アイゼンを使用するほど雪は堅くないのでワカンで続行した。カモシカの足跡はクラックの下を大迂回していたので追うのを止めてクラックの中間より下の細い所を狙った。一ヶ所クラックの中にブロックが残って不安定だがかろうじて雪面が繋がっていた。それを使って割れ目は突破した。

 クラックを抜けて北側から山頂を目指すと案の定、雪庇から逃げられ斜面となっており山頂に駆け上がった。山頂着13時29分、西に進むと能郷白山と姥ヶ岳が正面に見えた。

 姥ヶ岳の北に部子山と銀杏峰が見えて右に堂ヶ辻山が見えていた。

 そして堂ヶ辻山、荒島岳と白山である。荒島と白山の間の山は越前大日山と経ヶ岳だろう。

 登って来た東方向の山並みである。左から平家岳、美濃平家岳、滝波山、離れて洞の天井である。雪面をもう少し東に進めば山の裾野迄撮影できるのだが、あの大雪庇を仰いで登ってきた身には危なくてこれ以上東には寄れなかった。

 いつまでも居座っていたい山頂だったが帰りの行程を考えれば長居は出来ない。撮影を済ますと直ぐに下山した。それなりの傾斜をワカン履きである、慎重に下った。

 帰りは早いもの、あっという間に大雪庇が遠くなった。

 遠い、遠い帰り道でテントに着いたのは20時12分であった。予定では今日、上大須ダムまで下山予定であった。妻には予備日を1日言ってはいたが罪つくりの遊びと実感した。

3月10日(晴れ)下山編

  • 県境尾根標高1180mキャンプ地7:10-左門岳7:30-根尾東谷9:10-上大須ダム駐車地11:25

 テントから出ると屏風山が朝日を受けて金色に輝いている最高のキャンプサイト地だった。

 テント撤収作業を終えてもう一枚、名残惜しいが、このブナとも、屏風山とも、これでさらばである。

 左門岳を過ぎて南尾根を下降中に入山日に見えていなかった景色に気付いた。右の鋭鋒は蕎麦粒山でその左は金糞岳、少し離れてブンゲンと貝月山、左端は伊吹山である。あの伊吹の麓へ今から帰るのだ。

 帰り着いての楽しみは8日の朝に駐車場の雪中に隠しておいたノンアルコールとコーラである。雪は20㎝ほど減って雪面の様相は変わっていたがピッケルで見事に掘り当てた。よく冷えており美味しかった。

 当初計画は屏風山を登り終えて長い同ルートをピストンするなどナンセンスと思い能郷白山まで周回する4泊5日の計画を立てた。前夜ザックに荷物を入れ担いでその重さにガックリして眠れなかった。今の体力で、あの重さのザックを担いでラッセルは無理だ。朝開口一番、妻に屏風山ピストン、1泊2日、予備日1日を告げた。

 今月末には73才になる。年々体力の衰えと歩行スピードが遅くなっているのは自覚している。週2度は山に登り老化防止のブレーキは踏んでいるが止めようがないようだ。それでも抗う自分がいて若い時にやり残した「宿題」を片付けているが今回の屏風山が限界だろう。自身も含めて状況判断が的確にできるのが山登りだ。完


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