月報「わっぱ」 2022年5月(No.486)
【 個人山行 】 左門岳 ( 1223.5m Ⅲ△ ) 、 屏風山 ( 1354.1m Ⅱ△ ) 丹生 統司
- 日程:2022年3月8日(火)~ 10日(木)
- 参加者:丹生統
- 地理院地図 2.5万図:下大須(岐阜6-2) 、平家岳(同6-1)
3月8日(火)(晴れ)
- 上大須ダム6:45-無雪期左門岳駐車地8:00-支尾根取付8:45~ルート放棄9:10-左門岳南尾根支尾根取付(標高710m)11:00-南尾根合流(標高1020m)13:10-左門岳14:55-テント泊地15:20
屏風山を冬季に訪れたいと思いつつ奥深いことを理由に先延ばしにしていたが、近年稀に見る多雪に誘われ腰を上げた。登山余命幾許も無くなり、ラストチャンスと3月初旬屛風山に挑んだ。上大須ダム上流の支尾根から左門岳南尾根(東谷川右岸)へ登り北進して左門岳経由で県境を歩く計画とした。
湖岸道路は一昨日の新雪が根雪の上に15㎝ほど有ったがラッセルは深くなかった。ダム湖を過ぎて最初の橋を渡った右岸に左門岳南尾根の支尾根が下りており、そこに取り付いた。ところが斜面に間伐材が放置されておりワカンの踏み抜きが多発しルート放棄を決断した。急斜面を喘いで稼いだ高度70mだったが惜しげもなく放棄した。モタモタ出来ないのだ。
東谷川に戻り林道歩きが尽きると谷歩行が始まった。谷の両岸は雪が深く夏道のモノレール沿いには歩けなかった。石上の雪は笠状で登るのも降りるのも難儀で、ルート選択に苦労した。
標高650m辺りのモノレールが左岸尾根に消える所を過ぎた頃、右岸に尾根が現れ誘惑された。地形図で確認すると左門岳南尾根の1020mの頭に突き上げる支尾根で標高差は300mである。下部200mは急傾斜だが谷より尾根が楽に思えた。斜面にワカンを蹴り込むと根雪の手応えが有った。さきほど放棄した人工林の雪と違って疎林の根雪はしっかりワカンを受け止めてくれた。谷から逃れた時はヤレヤレと思ったが下部200mの急斜面のラッセルは宿泊装備を担いだ老体にはきつかった。傾斜が落ちて両手でストックが使用出来ると楽になった。尾根の出口は2mほどの雪庇となっていたが、小さい所を捜して上に出た。
南尾根から河内谷を挟んだ対岸に神々しいほど白い屛風山があった。南北に鋭く切れた稜線、谷に向かっては急峻な尾根を落とし正に屏風のごとくである。鷲が肩羽を怒らして威嚇しているようにも見える。間近に見る冬の屛風山は威圧感があった。
進行方向、中央の高みに左門岳が見えている。北に下って登り返すと見覚えのある老ブナに出会って夏道に合流、疎林と檜林の際を縫うように歩き左門岳山頂に着いた。
山頂から北の県境稜線へ向かった。屏風山が樹木に邪魔されずに見えるベストのテントサイトを捜しつつ歩いた。県境稜線に合流した頭より15mほど西へ下降した所に絶好のテント泊地を見つけた。正面に屛風山が見え、陽が西に傾くと屏風山背後の雲が茜色に染まった。
3月9日(水)(晴れ)
- 県境稜線(標高1180m)テント泊地5:45-標高1106mV字折り返し点9:30-屛風山東尾根取付11:25-屛風山13:30-泊地20:10
午前6時前にヘッドランプを点灯して出発した。先ず西へ標高差で200m下降したが尾根が本当に繋がっているのか不安になるほど下っていた。そして登り返すと弧を描くように県境稜線は北上した。白山が朝の柔らかい陽光をうけて染まっていた。稜線には天然檜の巨木が多数有って目を奪われた。また強風が高低差のある凹凸を造っており上り下りを繰り返した。雪庇に注意を払いつつ時折振り返っては分身の足跡を励みにしてまた進んだ。
県境は北上を続けるが、1106mの頭で逆V字に折れて南に向かう。着実に屏風山が近くなって来る。稜線は屏風山の左の尾根にカーブを描いて西に向かい繋がっていた。
屛風山が近くなって山頂へ続く稜線の急傾斜地に雪崩跡を2ヶ所発見した。山頂に雪庇が出来ることは予測できたが、登路の雪崩は想定外だ。取り敢えず近くまで行きルートとして使えるか判断することにした。
いよいよ雪崩跡がはっきり見えて不安定な斜面が確認出来た。このまま稜線を詰めるのは危険と判断したが諦めるわけにはいかない。年を考えれば次に冬の屛風山に挑むチャンスはない。最後のチャンス、踏ん張りどころである。
見れば右の谷が10mほどに浅くなっており、下りて横断すれば隣の尾根に簡単に取り付けそうだ。気掛かりは山頂の大雪庇と直ぐ下にクラックが口を開けているのが見えていることだ。しかし、山頂への登路はもうここしかない。覚悟を決めて谷を横断し斜面に取り付いた。傾斜は強いが樹木が有り雪崩の危険はないと判断して尾根上の天然檜を目指した。あそこ迄行けば上部の状況が確認出来るはずだ。
急斜面を登りきり尾根上に出ると傾斜が落ちてペースが速くなった。一度諦めかけた山頂であったが希望が再び湧いてきた。
尾根は左の谷側に巨大雪庇が張り出しており崩壊個所も幾つか有った。カモシカの足跡が有りその右を歩いていたら左足が突然隠れていたクラックを踏み抜いた。「ビシッ」5mmほどのヒビ割れが瞬時に10mほど走り慌てて修正した。帰りに見るとヒビ割れは20㎜ほどに広がっており落ちるのは時間の問題だった。
高度を稼ぐごとに県境稜線の崩壊跡が見えるようになった。尾根が一部黒いのは全層雪崩跡、斜面の白い段差は表層雪崩跡だ、まだ不安定な雪が残っている。この尾根に変更した判断は正解だった。見上げる山頂の大雪庇が威嚇し、その右下にクラックが口を開けていた。しかし雪は締まっており状態は良く雪崩の心配はないと判断した。カモシカの足跡に誘導されて高度を上げて行った。
傾斜も増して山頂が近くなったのでピッケルを手にした。大雪庇を避けて右北側、風上側から回り込めば行けそうに見えた。アイゼンを使用するほど雪は堅くないのでワカンで続行した。クラックの中間より下の細い所に一ヶ所クラックの中がブロック状雪でかろうじて雪面が繋がっている所があった。それを通って割れ目を越えた。
クラックを抜けて北側から山頂を目指すと案の定、雪庇から逃げられ斜面となっており山頂に駆け上がった。そのまま西に進むと能郷白山と姥ヶ岳が正面に見えた。そして北に部子山と銀杏峰が見えて右に堂ヶ辻山、荒島岳と白山があった。荒島と白山の間に見えるのは越前大日山と経ヶ岳だろう。登って来た東方向の山並みは左から平家岳、美濃平家、滝波山、離れてドウの天井である。雪面をもう少し東に進めば山の裾野まで見通せるのだが、あの大雪庇を仰いできた身には、これ以上東に寄る勇気はなかった。
いつまでもいたい山頂だったが帰りの行程を考えれば長居は出来ない。撮影を済ますと直ぐに下山した。それなりの傾斜をワカン履きである、慎重に下った。帰り道は遠くてテントに着いたのは20時を過ぎており、上大須ダムまでの下山は諦めた。
3月10日(木)(晴れ)
- テント泊地7:10-左門岳7:30-根尾東谷9:10-上大須ダム駐車地11:25
テントから出ると屏風山が朝日を受けて金色に輝いており、最高のサイト地だった。撤収作業を終えてもう一枚、シャッター音を未練たらしく谷間に響かせた。名残惜しいが、この老ブナとも、屏風山とも、これでさらばだ。

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