大垣山岳協会

門入の末廣さん体験記 ③

TOPICS・随想・コラム

門入の末廣さん体験記 ③ 完 鈴木 正昭

 旧徳山門入の旧住民、泉末廣さん(80)の若い頃の体験談。最終の3回目は私が過去に門入を訪れた時、お聞きした話である。

西谷川沿いに広がる門入の集落跡

<火炊き役は一人工>

 山仕事で山に入るとき、大切な役目に「火たき」がある。火をたくだけで、一人工の賃金をもらえた。父は、ヒノキの枯れ枝を持って行き、それをナタで薄く剥いたものを着火に用意した。それに火を付けるとうまくいく。それがなければ、クロモジの立ち枯れが役立った。みんな父から教わった技法だった。

 雨の日でも必要なときすぐ火を付ける技術は誰でもできることではなく、大事な役目。生木を燃やすことも多い。どんな木が燃えやすいか、事前の知識が必要で、要領のよさがないとできなかった。火炊きはそれ専門の役割でそれ以外の仕事はしなくてもよかった。

<銘木の規格とボッカ仕事>

 父は腕のいい木挽きをしていて銘木の仲買もしていた。私は学校を出てから、大工の仕事をしたあと、父にならって木挽きをした。父から木の名前や伐る前に木を見て材の良し悪しを区別する判断力を習得した。立木のままで、中身がどんな特質を持っているかを判断できなければ優秀な木挽きとは言えなかった。トチなどの銘木は長さ6尺6寸で1寸四方角を規格の単位としていて、これを1サイという。(1寸3寸角なら3サイ)ボッカの材の運搬料はこのサイに応じて決まるが、ボッカは土木作業の2,3倍の収入となった。木挽きはそれより金になり一日3000円くらいだった。

<長者平での豪雨>

 20歳のころ、友人と二人で長者平に釣りに出かけた。1日目には二人で手分けして金ケ丸谷や根洞谷など谷に入り、合計で3貫目ほど魚(あまごなど)を釣ったが、それから雨が三日ほど降り続いた。長者平にあった掘っ建て小屋で待機したが、釣った魚を食べ尽くし、米もなくなった。帰ろうとしたが、谷沿いの道(当時林道はなかった)は増水で通行不能。やむなく、左岸尾根に上がり、尾根筋からオセビ谷に下りた。尾根筋には猟師らの通る踏み跡があった。稜線からコシャボラ沢に下り、入谷に至る道もあった。オセビ谷の下にはワリデンという焼畑があり、小屋があったので、そこに入り置いてあった米をたいて食べた。

 若い頃、集落近くの西谷川の河原に大雨で流れてきたトチの大木があった。友人と手分けしてこれを挽いて板にして岐阜の業者に渡したところ20数万円で売れた。せいぜい2万円くらいと予想していた。以来本格的に銘木の木挽きに精を出した。村外にもでて仕事をした。年に500万円も稼いだ年もあった。

 小屋は同行の友人のおじさんの所有だった。後日そのおじさんが小屋に泊まろうとしてあるはずの米がないので、仕事もせずに帰ることになった。二人の仕業だと知り、友人はひどく叱られたそうだ。


コメント