月報「わっぱ」 2016年1月(No.410)
門入の末廣さん体験記 ① 鈴木 正昭
徳山ダムの出現で陸の孤島となった門入(岐阜県揖斐川町)の旧住民、泉末廣さん(80)が昔の門入での暮らしや民俗、説話を後世に伝えようと、昨年11月21日に現地探索見学のツアーを開催することを知り、参加した。参加者8人は集落中心部から8㌔離れた伝説の地、長者ヶ平まで往復、泉さんから各所に因んだ悲喜苦楽の物語や説話を教わった。泊まった泉さんの山荘でもお話をたっぷり聞いた。
門入は旧徳山村8集落のうち、ダムで水没しなかった唯一の集落だ。過去の門入に関する史料文献はあるにはあるが、泉さんら旧住民はそれらに記されていない門入での体験や知識をたくさん持つ。旧住民は次第に姿を消す。危機感を抱いた泉さんは何人かの協力者とともに「門入おこし協力隊」を結成し、体験継承に乗り出した。
この日、泉さんから聞いた数々の門入体験談のうち、私が感銘した幾つかを順次紹介したい。
<ジンニョモ淵>
入谷の橋を渡ると長者ヶ平に向かう門入林道に入る。林道の終点は門入国有林であり、林道は林野庁と門入地区の共同管理で50年ほど前に開通。それまで、魚釣り、山菜採りに西谷源流部に入るには谷底沿いの細い難路を歩いた。門入林道を少し歩くと、泉さんは「この下に悲しい物語があったジンニョモ淵がある」と指さした。昔、大雪の日に山仕事に出かけたジンニョモという人が帰る途中、潜る雪を避けて歩きやすい河原に降りた。途中で一服すると眠くなり寝込んでしまい、川の水で濡れた身体が冷えて死亡したという。泉さんは父から冬、川に入ったら絶対に休んでは危険だ、と教えられたそうだ。
<焼畑小屋での出産>
泉さんは西谷右岸斜面のやや平らなところを指さした。「ハラ」と呼ぶ原野だった。そこで焼畑を作っていた若い夫婦が小屋に住んでいた。妻が急に産気づき、2人だけで男の赤ちゃんを無事取り上げて部落に帰ってきたという。
門入の末廣さん体験記 ①
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