大垣山岳協会

山中雑記 廃村跡を見て考える

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2016年6月(No.415)

廃村跡を見て考える

 15年前に登った奥美濃、神崎(山県市)の奥山、クラソ明神(1023m)に5月に再登した。山行記録のない直登尾根は上部で猛烈なササやぶ。苦しんだ末、薄い記憶の残る三角点に達した。十分楽しめた山行だったが、登山口の白岩集落跡のうら寂しい姿に一層の感銘を受けた。廃村後50年を経て、長く薄暗い白岩谷沿いに家屋3戸の残がいが点在していた。集落存在の過去まで消滅しそうな気配を感じた。ところが、集落中心部の急斜面の上にある熊野神社は比較的新しい鳥居と拝殿を構え、よく手入れされていた(写真①)。寄付者芳名の看板2枚によれば、平成10年と15年に鳥居、参道、拝殿の改修工事をし、氏子約50人が工事費を寄金している。旧住民たちの古里への思いは行動となり生きているようだ。

(写真①)

 そう思って、合併前の美山町の町史を調べてみた。だが、白岩についてはほとんど触れていない。旧住民に聞くしかない。苦労した後、すぐ下流の伊往戸(いおど)に住む長屋勝一さん(75)に話をうかがうことができた。氏によると、白岩は550年ほど前に成立し、大昔には30数軒もあったそうだ。氏の子供の頃、16戸があった。昭和45年に過疎地の集落再編事業の適用を受け、全戸離村し、廃村となった。氏はその4年前に伊往戸に移った。長屋家は計5軒あった。戦国時代に板取を支配した長屋信濃守が明石谷から山越えして開拓したという説話もある。

 熊野神社は450年ほど前に熊野の那智大社から勧請(神仏の分霊を移して祭ること)したという。成立に関する記録はないが、伊勢湾台風で倒れた境内の大杉の年輪が約450年だった。神社の春祭りは4月の第3日曜、秋祭りは「体育の日」と定めて今も続いている。祭り参加者は次第に少なくなってきたが一方若い後継ぎの参加もあり、何とか続いている。

 登山する折りに様々な廃村集落に出合う。完全無人となり久しい所、廃村跡に残した家屋に夏場だけ元住民が一時滞在する所、さらに住民激減で間もなく廃村を迎えそうな所もあった。そうした光景にいつも立ち去りがたい思いを抱く。なぜだろう。現代人の生活、生き方、考え方が失いつつある大切な人間的遺産が奥深い山間地での歴史民俗に秘蔵されているのではないか。それも放っておけば消え去るのは間近だ。

(鈴木 正昭)

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