月報「わっぱ」 2013年4月(No.377)
山書巡歴 ⑬ 秘境パミール高原
NATIONAL GEOGRAPHIC誌2月号
NG誌はアメリカで発行され、日本語版は大垣でも入手できる。えらく難しそうな誌名だが、学術雑誌ではない。その2月号に「ワハーン」の近況が報告されていた。
ワハーンとはどこか。アフガニスタンの北東部を示す。アフガンの形は西を向いたオタマジャクシに例えることができ、その尻尾にあたる部分がワハーンである。東西に長い廊下状の峡谷(東西280km・南北は狭いところで10km)で、両岸には7000m級の高峰が連立している。谷底でも3500mを越える。
従ってこの地域の通過は困難を極めたが、玄奘三蔵、マルコポーロ、高仙芝などの歴史上の人々が通過したと古文書は伝える。近代になってから、政治的理由で入域が不可能になっため、記録はほとんどなく、J.Woodの『オクサス源流への旅』(1838)くらいだった。ところが、広島大学OBの平井剛氏が1999~2002年に単身でこの地に入り、くまなく歩いて一書をまとめられた。『禁断のアフガニスタン・パミール高原』(ナカニシヤ版)という大冊だ。この2冊に標記の報告が加わったことはうれしい限りだ。
その中で一つだけ紹介しておきたい。1979年にソ連兵がこの地にも侵攻。住民たちは峠を越えてパキスタンへと逃げ込んだ。うち一部はさらに西に向かい、トルコ東部に居を移して今日に至っている。そこは電気も通じ自動車も持ち文明生活を享受しているそうだが、それで満足しているかは別の話と言う。やはり四季を問わず寒風の吹きすさぶパミール高原の地が忘れられないだろうか。
(高木 泰夫)
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