大垣山岳協会

平成25年度総会・激励会報告 2013.01.27

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2013年2月(No.375)

平成25年度 定時総会・激励会報告

 うっすら雪の積もった1月27日、平成25年度新年総会と激励会が大垣フォーラム・ホテルで59人のメンバーが出席して開かれた。

 安藤正明氏を議長に選んだ後、高木泰夫会長が「今冬、全国で遭難が多発したが、山では危険性に対して鋭敏過ぎるほどの注意力を発揮してほしい。あいまいなものにかけるという姿勢は危険である。安全策に万全を期して欲しい」と開会のあいさつ。

 続いて議事に移り、24年度事業報告、決算報告を承認し、25年度の事業計画案、予算案を原案通り承認、可決した。

 最後にわが会が新しく独自に選定する「美濃百山」への承認を求める議題が出され、承認可決された。これまでの「奥美濃30山A、B級」は山の環境変化もあり、実態に合わなくなってきたので、全面的に見直そうと6人の委員で選定を進めてきた。これを機に「奥美濃」から範囲を広げ飛騨との境界までの美濃全域を対象とした。難易度で楽なものからA級30山、B級30山、最難度のC級40山とした。選定委員長を努めた村田正春副会長が「○○100山選定には批判もあるが、登山目標を立てることは大事なことと考える。美濃百山が皆さんの登山活動の発展に活用されることを期待したい」と説明した。(美濃百山のリストは平成25年度総会議案書に掲載)

 議事終了後、新年記念講演会に移った。今年の講師は、岐阜大学名誉教授で同大山岳部前顧問の藤井洋さん(写真)。長い同大教員時代から山岳部を育て率いてきた。2011年12月に現役部員2人を連れてミャンマー北部、インド国境にある未踏峰、ジヤ・マディン(4120m)に挑み、初登頂成功の快挙を成し遂げた。藤井さんは貴重な写真とはつらつ明解な弁舌で魅惑と苦難に満ちた山頂までの足跡を語った。

 会場を移しての激励会では、来賓の小川敏大垣市長、顧問でもある猫田孝県会議員から祝辞をいただいた後、登山活動に実績のあった以下の各氏を表彰した。

  • 協会一般山行最多参加者 竹森 せい子 氏
  • 月例山行最多参加者   佐竹 良彦 氏、桑原 美和子 氏
  • 奥美濃30山A級完登者  加藤 冨夫 氏、霜田 光子 氏、大杉 すみゑ 氏
  • 奥美濃30山B級完登者  平木 勤 氏、大原 和子 氏

 最後に全員で雪山賛歌など山歌を力強く歌い上げてから散会した。

平成24年度山行集計 ( 犬飼進調べ )

●一般山行登頂山座数

1竹森 せい子42
2佐竹 良彦 32
3桐山 美代子31
4村田 正春29
5大杉 すみゑ28
5林 旬子28
7後藤 友子27
7加藤 冨夫27

●月例山行参加回数

1佐竹 良彦9
2近藤 初栄8
2竹森 せい子8
2桐山 美代子8
大杉 すみゑ8
2霜田 光子8

●年間総登山:2165座

●難易度別協会主催山行参加人数
   ★685
  ★★113 
★★★ 75

   藤井洋さんの講演要旨  

 1969年に岐阜大山岳部はアフガニスタン・ワハン回廊のコーイ・ファルザンドなど二つの未踏峰に登ったが、その準備段階で大垣山岳協会の皆さんにお世話になった。当時の今西錦司学長から大垣へ行って、アフガニスタンの山のことを聞いてこいと言われたのです。協会はその前年に同国の未踏峰、シャー・イ・アンジュマンを登っていた。そこで、なくなった高木碕男さんや高木泰夫先生にお会いして有り難い教えを受けました。

 大学山岳部の衰退は岐阜大でも進み、2003~2009年、部員ゼロが続いた。しようがないのでトレッキングにでも行こうと09年秋、ミャンマーのイラワジ川支流の最奥部に出かけた。その時、遠くに見かけた鋭く尖った山を見つけたのがジア・マディンでした。ミャンマー山岳会に聞いたが登っていない山だという。カチン族の住むこの地方は民族紛争の激しいカチン州で地図は軍事機密で入手不能。そこで、グーグルの衛星画像を元に自分で独自に地図を作るなどして、いつか登ろうと準備だけはしてきた。

 2010年に山岳部に学生が入ってきた。しかも誘うと伊藤、森の当時2年の2人が「行きます」と言ったので、17年ぶりの海外遠征が実現した。

 12月17日に日本を出国。隊員は私を含め4人。小さな飛行場のあるプータオを古びた四駆で出発、アッパーシャンガン村に着く。ここで、現地ポーター15人(農夫ら)とガイド3人(猟師)、政府公認の通訳兼案内人らの大部隊を編成し、21日朝キャラバンを開始した。2日目に最後の集落、ジアダンに着き、以後ジア川の遡行。夏は川の増水とヒルの地獄の責め苦が必至で、冬のこの時期を選んだ。それでも川の水は多く、石が滑りやすく苦労した。 現地ポーターは美味しい食事つくりに、竹材を使ったテント設営に実に機敏で効果的な仕事をしてくれ、感激した。

 複雑な川の分岐点を幾つも超えて、時にきれいな照葉樹林を抜けて26日にベースキャンプ(BC)を設営した。翌日ガイドとポーター5人と共に2人の部員が前進。途中でビバーグ。27日、国境稜線手前の岩溝にアタックキャンプ(AC 標高3600m)を張った。28日、2部員とガイド2人が頂上に向かう。雪の斜面をトラバース、ナイフリッジを越えて進んだが、森隊員は体調不良でガイド1人と共に途中で退却。伊藤隊員とガイドの2人は午後2時過ぎ、インド側から急峻な雪まじりの岩稜を登り切り頂上に達した。下山ではザイルで懸垂下降を繰り返して夕方ACに帰着。

 BCで2人の部員の無事な顔を見たことを思い出すと涙がでます。何よりでした。

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