大垣山岳協会

山中雑記 雨乞い岩を求めて

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2014年3月(No.388)

雨乞い岩を求めて 丹生 統司

 『美濃の山1巻』に載っている「西滝ヶ洞」(781.8mⅣ等三角点名藤川村)は関ヶ原では相川山と呼ばれ、古来より雨乞い儀礼が行われた山だ。関ヶ原は山林が80%を占め、平坦部は扇状地性台地である。台地と河床面との高低差が大きく耕地は用水を得にくい。そのため、山腹と耕地の中間に多くの貯水池が造られたが、山地性の斜面は池の規模に限界があった。

 幕藩体制下の関ヶ原は旗本竹中家の領地で水を得るために天佑にすがる、つまり雨乞いが盛んに行われていた。『関ヶ原町史』によれば若宮・八幡神社で宮籠り願掛けをしても雨が降らないと大幟をたて、松明をかざし明神山登山や相川山の「雨乞岩」参りをした。天保5年(1834)の史料によれば太鼓などの鳴り物を持参して1サイクル3昼夜、交替で舞や歌を奉納祈祷し、この年は計6サイクルもした。

 現在、明神山は社が大切にお守りされているが、相川山はやぶ山となった。雨乞い儀礼の遺跡、痕跡を現任したくても果たせずにいた。ところが平木勤君から現場を見たことがあると聞き、2006年に鳥居と雨乞い岩や祠を納めた写真を送信してもらった。

 それを元に、昨年12月末、相川山に向かう古道を上がり標高420m付近を捜索すると、落ち葉や土砂の下から鳥居の丸い礎石が出てきた。

 さらに、雨乞い岩の確認に尾根道を辿り600m付近で尾根から谷側へ左トラバースを続けると700mの鉄塔下に崖が現れた。これが「雨乞い岩」だった。岩場の下に祈祷場の平地があり、付近に祠が壊れて散乱。杯の破片やビン類もあった。町史によれば祠を安置して「霊岩神社」とし小関地区が中心に祀っていた。ここで神事が行われていたのだ。

雨乞い岩

 下山後に地元の人に聞いた話では、昭和50年代に住民らの努力で雨乞い音頭と踊りを無形文化財として復活させた。小関地区は若宮八幡宮と雨乞い岩で交互に8月1日に祭礼を復活。平木君や私が確認した鳥居の礎石や壊れた祠の遺物はその頃に再建されたものだ。その後、地区民の事情やヒルの大量発生などが重なり、鳥居は撤去され、祭礼も中止された。灌漑が行き届き、一方で耕作放棄地が拡大する今日。人々は神への願いは里の神社ですます。それでも「雨乞い岩」は往古の威厳を失わず相川山に君臨していた。

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