大垣山岳協会

2024年安全祈願山行・南宮山上野ルート 2024.01.22

南宮山

【 週日山行(安全祈願山行) 】 南宮山 ( 419.0m Ⅱ△ ) 大垣市上石津町牧田  NT

 当会2024年の安全登山祈願山行は上石津町牧田上野集落より尾根に取り付き桃配山から東の南宮山へ至る主稜線から山頂へ立った。関ケ原合戦の毛利陣跡の展望台で濃尾平野を眺め昼食休憩をした後に垂井町側南宮大社へ下山、昇殿して今年の安全登山を祈願した。

<ルート図>
  • 日程:2024年1月22日(月) 晴れ
  • 参加者:L.NT、AM、IY、OS、KM、KM、GY、SE、ST、TS、HT、HY、MT、YH
  • 行程:牧田上野口9:22-朝倉山分岐11:06-南宮山山頂11:46-展望台12:36~13:20-南宮大社14:42
  • 地理院地図 2.5万図:大垣(岐阜8-4)

 上野集落裏の名神高速ガードを潜ると予定していた駐車地が数台の軽トラックで埋まっていた。空き地を求めて引き返し駐車許可を頂いてスタート出来た。軽トラの主は狩猟者で3ヶ所に分散し計7台、15㎝ほどの石が散乱する急傾斜の悪路をこんな所まで上げていた。

 背後に烏帽子岳や御池岳、藤原岳の鈴鹿の山、見下ろす牧田の集落と耕地の先に笙ヶ岳から南へ続く養老山地がどっしりと大きく見えていた。

 今年は例年になく暖かい正月だった。1月も半ばを過ぎてやっと白くなった伊吹山で有ったが昨日の雨で谷筋に雪を残すだけとなって何とも哀れな姿である。南斜面の登路は陽当たりが良く上着を1枚脱いで歩いた。早くもアセビが花を開き春を先取りしていた。

 道は中電の鉄塔巡視路らしくやたらとピンクの目印が多かった。南宮山関ケ原側では4年ほど前の冬、降雪で鉄塔が倒壊する事故が有った。一帯の鉄塔は建替えや保全が数ヵ所で行われておりその調査の為と思われた。

 毎年南宮山で幾つかルートを替えながら安全祈願山行を行っているが牧田側は初めてである。東隣の尾根からは軽トラの主、狩猟者が大声で犬をけし掛け獣を追っている声が聞こえた。尾根から谷へ追っているようである。誰かがコールを送ると我々の存在に気付いたようで声を掛けて来た。これで誤って撃たれることはないだろう。

 鉄塔が2基あって頭上の送電線が北東と北西から南下しクロスしている。地形図で現在地を確認するのに最適な標高330mの広場で最初の休憩をした。その都度地形図で現在地の確認とコンパスで進行方向のチェックを怠らない、優等生は低山といえども侮らない。

 やがて疎林から檜の植林帯となると主稜線が透けて見え谷が遠くなった。と、その時「パーン」と2度発砲音が聞こえた。旨く2頭仕留めたか、それとも仕損じて2発目を撃った?

 関ケ原から旧牧田村を経て四日市へ至る伊勢街道の烏頭坂より名神高速道沿いに始まる林道が南宮山主稜線と同高度まで延びて終えている所が上野ルートの合流点である。林道から10mほどビシャ(ヒサカキ)の多い斜面を登ると境と彫られた御影石の石柱が有った。

 朝倉山分岐へ到着、昨年は朝倉山から此処へ登って来た。朝倉山頂からの下りが1ヶ所凍結しており軽アイゼンを使用したことを思い出す。たかが400mの山と侮ってはいけない。

 この頃は此の主稜線も歩く人が多くなったようで笹や下草が全く無くなり踏み跡も明瞭になった。12~13年ほど前にビシャ(ヒサカキ)の立ち木を両手で分けて進んだことがウソのようだ。勿論、獣害もあるのだろう。

 2022年は関ヶ原古戦場の家康陣跡(桃配山)から登ったが近年にない積雪で膝上のラッセルを強いられた。山頂を目の前にビシャ(ヒサカキ)が大量の雪を枝に纏って遮り真っ直ぐ進めず右に左に迂回を繰り返すうちに南の支尾根へ迷い込んだ。高々400mの山で難儀をしたのはこの辺りである。

 此処も降雪時は難儀な所だ、このビシャ(ヒサカキ)のトンネルを抜ければ山頂である。

 南宮山山頂(419mⅡ等△、点名・牧田村)である。甘い計画ではあるがタイムは予定より15分速い。昼食は展望台(関ケ原合戦毛利陣跡)まで足を延ばしていただくことにした。

 山頂から展望台までは毎年通過しておりチョロイと思っていたが甘かった。2ツコルを越えて登れば目的の展望台と思いきや地形図に表現されていないコル(10m未満)が有って騙された。等高線を細かく数えておれば気付くはずだがやはり感覚で登っている癖が抜けていなかった。堀切の標識を見て安堵、今度こそ展望台である。

 今日は雲が低く恵那山や中ア、南アの山々は見えなかったが濃尾平野は見渡せて名古屋市内のビル群は確認出来た。多度山の裾野の東に揖斐川がくねって光っていた。40分の休憩時間をそれぞれ和やかに昼食タイムを過ごした。

 大社の駐車場には山行に参加出来なかった仲間が3名我々の下山を待って一緒にお祓いを受ける手はずであった。13時20分当初の計画通りに展望台を後にしたのであるが長い急階段の下降で疲労が蓄積したのか予定時間を過ぎてしまった。

 平日の山行は孫が学校から帰って来るまでの空き時間や夕飯の仕度に間に合う帰宅時間を気にしてジジババも結構忙しい。お祓いを一緒にと大社で待っていた3名は家路につくと連絡があった。一緒に下山した仲間もそういった事情で何人か抜けたが残されたメンバーで昇殿し今年の大垣山岳協会の安全登山を祈願した。

 神事にサカキは欠かせないが南宮山は大社の裏山であるせいかサカキが多いがサカキには「本サカキ」と「ヒサカキ」がある。ヒサカキはビシャともいうが神棚へ供えるのはこの地域では「本サカキ」である。見分けは葉が小さく周囲がギザギザなのが「ヒサカキ」、葉が大きく周囲がツルツルなのが「本サカキ」である。南宮山では両木ともよく見るが東北地方には本サカキが自生しておらずヒサカキを神棚へ供えるようだ。流通が発達している現代では本サカキを供えていると思われるが。

 サカキは漢字で「榊」と書き「木」の「神」であり「神木」として神事で扱われる。サカキの語源は人間世俗界と神の聖域の「境」を現す「木」、つまり「境木」が転じて「榊」になったそうであるが他にも諸説あるようだ。

 このレポートを作成中の1月24日外は大雪で有る。自宅の関ケ原は山の吹雪のようで横殴りの降りであった。午後3時すぎ小降りになったので除雪に出たがヤッケ、オーバーズボンの冬山武装である。取り敢えず玄関先と公道迄5mほどを除雪したが大汗を掻いた。積雪を50㎝モノサシで測ると10㎝以上足りなかった。とても駐車場までは手に負えず埋まった車は次の日掘り出すことにした。日頃、山の雪不足を嘆き、やれ暖冬だ、貧雪だのと、ののしり過ぎたせいかもしれない。今年は正月から地震や飛行機事故、ドカ雪と多難な年の予感がするがより気を引き締めて安全登山を心掛けたい。完


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