大垣山岳協会

令和2年安全祈願山行・関ケ原野上行宮跡~南宮山報告 2020.01.22

南宮山

【週日山行(安全祈願登山)】 関ケ原野上行宮跡 南宮山 丹生統司

  • 日程:2020年1月22日(水)晴れ
  • 参加者:L 丹生統、安藤正、岩田嘉、大谷早、小栗敦、小倉繁、小倉浩、清水照、清水友、高橋文、服部功、堀 義、宮澤健、森 美
  • 行程:野上行宮跡8:20-点名・大高(桃配山)9:17-南宮山10:30-展望台11:08-12:00-南宮大社12:56  

 令和2年安全祈願山行は関ケ原野上行宮跡から南宮山を経て大社に下山するコースで行われた。関ケ原町野上の真稔時東の道路を南に侵入し新幹線沿いの道路に駐車し墓地の横を抜けて行宮跡に着いた。

 1600年の関ケ原合戦は誰もが知るが約1300年前の古代にもこの地で天下分け目の戦があった。天智天皇の後継を争った壬申の乱(672年)がそれで当時関ケ原は和蹔野(ワザミノ)と呼ばれていた。皇嗣を返上し吉野に逃れた大海人皇子はその後吉野を脱出して伊賀、桑名を経てこの地に行宮(本営)を置いたと伝承されている。皇子は安八郡など東海地区の豪族を結集しここで大津京攻略の指揮を執った。ここより3㎞ほど離れた藤下地区を流れる川は激戦の血のりで黒くなり今も黒血川と呼ばれている。藤下地区には敗れた大友皇子の首塚と伝わる自害峰がある。『日本書紀』には美濃の軍将たちと大倭の豪勇の者が皇子の頭を不破宮に捧げたとある。戦に勝利した大海人皇子は再び奈良に遷都し天武天皇となった。

野上行宮跡は草木が茂るだけの平地で看板がなければそれと気付かない。数十メートルも歩くと足元や山の斜面、細い谷川に五輪塔の部位が確認出来て埋もれた歴史を発見したような気分になる。

寺跡と思われる人工的な平地を過ぎて尾根に取付き鉄塔を過ぎると尾根は落葉した樹林となって傾斜を増した。足元の落ち葉に隠れた小石や枯れ枝に気遣いしながら「点名・大高」を目指した。

 点名・大高(342,3mⅣ等△)到着、三角点傍の立ち木に「桃配山」と山名が書かれていた。麓の家康陣地跡や運動公園周辺を桃配山と呼んでいる、その最高所が「桃配山」なのは理解できなくもない。そもそも「桃配山」の由来は壬申の乱で大海人皇子が兵を鼓舞するため「桃」を配ったとの伝承に起因する。家康が当地に陣を敷き故事を踏襲したのは歴史に造詣の深い者の入れ知恵だろう。1600年の関ケ原合戦以後周辺は桃配山と呼ばれている。

尾根は広落葉樹の森で一面落ち葉の絨毯が敷き詰められて標高400mの里山の自然を存分に楽しめた。

南宮山で一番の眺望スポット標高380mの鉄塔から見た垂井町市街、奥に奥美濃の山々と右に御岳山が見えるはずだが霞で見えない。

南宮山が近くなると檜の植林が多くなり低木の藪椿やヒサカキ等の照葉樹が多くなり緑が多くなった。

南宮山山頂(419m、点名・牧田村)を前に記念写真。

山頂で万歳を忘れており展望台(404m)で他の登山者が居ない隙にHI氏の発声で思いっきり三唱。

 南宮大社駐車地に降りると先ず大谷女史の車で登山口においてある3台の車を回収した。受付を済ませ全員で拝殿において令和2年の当協会の安全登山を祈願しお祓いを受けた。今年も会員一同健康で安全登山を心がけて沢山登りましょう。完

<ルート図>

コメント