【 個人山行 】 霊仙山(丸岩谷) NT
前日の夕方メールを開くと、今冬を想定したアイゼンの練習に京都の岩場へ付き合って欲しいと。急な話で京都までは勘弁やで、近場で若い頃のアイゼン練習場所を提案した。とは言え、3年ほど前にアイゼンの練習に来て通用しなくなった自身のバランスを見ており気が重い。「私がトップで登ります、ザイルも持ちます」の宣言に渋々腰を上げた。
- 日程:2023年12月13日(水) 晴れ
- 参加者:NT、SM
- 行程:上丹生駐車地8:10-丸岩谷出合9:09-609m頭12:56-主稜線14:26-林道着16:04-上丹生駐車地16:55
- 地理院地図 2.5万図:彦根東部・霊仙山
上丹生から45分ほどで屏風岩である。若い頃の日の長い夏、会社山岳部の同僚と示し合わせて定時で仕事を終えると車をぶっ飛ばした。目的は此処屏風岩、丸岩で身体をほぐしこの壁を1本登って懸垂で降りると薄暗くなった。そんな昔話を道すがら話して聞かせた。
彼女は岩の練習にはもったいない高価なアイス用アイゼンであったがこれしかないと。小生のバランスでアイゼンを装着したら迷惑をかける、ビブラム底で後ろから追いかけた。
石灰岩の谷は水で洗われてスラブ状でツルツル、アイゼンの爪を噛ませるスタンスが乏しい。御在所の籐内壁が前爪で削られ穴が出来ているのに対し高度感は劣るがバランスの練習に良い。何より関ケ原から近く若い時分の一時期ここを道場にしたものだ。
落ちたらケガをしそうな空滝下でアンザイレンをした。最初の足場が遠かったが一旦爪を噛ませるとスムースに登って行った。下から見るよりスタンスが外形しており爪の懸かりが少なくバランスを求められる。若い時に会っていれば穂高や剱で岩場漁りが出来たに。
超えるごとに「上手」と御世辞と直ぐ判る嘘で褒められる。情けない格好で落ち葉を落としスタンスを捜す、落ち葉の下が濡れており指に力が入る。3年前はもう少し身体が言うことを聞いてくれたのにザイルの後ろからついて行くだけで息が切れた。(SM提供)
今年の冬は異常な暖かさで苔が青々として水分を含み全く冬の谷とは思えない。昨日の雨は空滝の壺に水をためておりスリップは水浴びを覚悟せねばならなかった。
右の狭い凹角を登るのだが中へ入り過ぎると傾斜が増して身動きが出来ず苦しい、とはいえ左はスラブで外側はツルツル、アイゼン登攀は無理かもと思ったが細身を生かして見事に乗越した。小生はチムニー登りの要領で越えたが内面登攀は体力を消耗し疲れた。
一見簡単そうに見えて取り付いたのだが逆層で思ったよりホールド、スタンスが小さく少ない。やっと超えたと思ったら上部がツルツルのスラブでギブアップ、必死でクライムダウンした。SMに右壁のルートを攻めさせ越えたが急傾斜で浮石が多く緊張した。ハンマーとハーケンを持参しなかったことを悔いた個所だ。3年前はハーケンを使用しなかったのでと思ったが確実にレベルが低下している、やはり年寄りの冷や水だ。(SM提供)
アンザイレンをして後からばかりでは申し訳ない、簡単に行けそうなところくらいはと老骨に鞭打って登り上から写真を撮った。岩が乾いておれば白い綺麗な石灰岩がビブラムに吸い付いて実に気持ちよく登れる。
3年前には滝壺に水が溜まっており左の斜面へ逃げた。その辺りと思われる所で斜面に取り付いた。この泥斜面が曲者で止まるとズルズル滑って油断ができない。SMが持参したバイルモドキを借りて難場を越えたがこの泥壁が一番の難所であった。
霊仙山頂より北西方向の丹生川へ下りる尾根を目指しカルスト地形の石灰岩特有の奇岩を幾つか越えて609mの頭へ立った。目の前にこれから目指す尾根が見えているが高く遠い。疲れてヘロヘロだが既に13時前であり行動食を頬張るだけの小休で時間を節約した。
北西尾根に上がると景色が一変した。それまで人の目に一度も触れたことのないと思われる奇岩やケヤキの類の木々に接して昂揚していた。ところが保安林改良事業の標柱や獣害除けネット等の人工物が現れたのだ。尾根は歩きやすくなったが疲れはピークだった。
米原市と多賀町との境界尾根へ到達した。霊仙山頂と最高点が見えているが当初から山頂へは行かない約束。昔は山頂へ続く斜面は背丈を越える竹で覆われ遭難事故も時折起きた。足元から続く緩やかな斜面の下にお虎ヶ池と鳥居、登山道が見えていた。(SM提供)
境界尾根から北に伊吹山と長浜の市街を見ながら南へ進み、その後、西へ方向を変えた。落ち葉が覆った急な赤土の斜面を高度で300mひたすら下った。本当にこの下に尾根が存在し繋がっているのか不安になるが、自分の読図とコンパスの指す進行方向を信じて下る。
斜面はやがて明瞭な尾根となり古い道に出会った。古道は下るほどに道らしくなったが長い年月の人の往来と風雨で凹み倒木と落ち葉の掃き溜め状態となって歩き辛かった。林道が下に見えるとヤレヤレ、ランプの世話にならずに済むと安堵し駆け下りた。
計画では林道から高度で140m下の上丹生の神社へ真っ直ぐ斜面を下る予定であったが時間が遅くなったので林道をこのまま歩いて今朝の道へ出ようと道すがら決めていた。しかし、神社の方向への明確な踏み跡と近距離での多数の目印を見ると誘惑されて前言を翻したくなった。だが、16時を過ぎており急がば回れだ。「昔は10月の個人山行が終われば何処の会でもアイゼン、手袋を装着しての岩登り訓練をしたものだ」と50年前の山登りを語り聞かせてのんびり駐車地を目指した。明日は節々が痛むに違いなく年寄りの冷や水もここまでと自身にも言い聞かせた。完
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