月報「わっぱ」 2015年11月(No.408)
御前様の不思議2
私は4月19日に板取・老洞集落での正之御前社の祭礼に参列した(5月号参照 ※1)。神明神社境内にある小祠の前に集落の氏子約10人が神主の祝詞のあと、拝礼した。祭礼後、祠の中に収蔵された木像1体、小さな和鏡2枚などが開張披露された(写真①)。標高540mの山の上にあった祠とともにここに移したものだ。
祭神と思われる木像は高さ15㎝。衣冠束帯の姿である。「正の御前」の名から中央権力に近い権威を持つ人物であり、地元に伝わる「昔、越前の戦いで敗死した主人の首を落ちのびた家来が山上に埋めた」という口碑もある。それで板取村史(1982年刊行)は木像は「越前の金ヶ崎城で新田義貞とともに討ち死にした後醍醐天皇の皇子、尊良(たかなが)親王」と推測する。
だが、今の老洞集落では、この説には異論を抱く人が多い。上記の口碑の存在を疑う人もいる。尊良親王説を裏付ける古文書はない。それよりも、住民たちは次のような口碑を伝える。「御前様は越前から鬼えびすという悪鬼を追ってきて、老洞とすぐ南の小瀬見(旧洞戸村)の境にあるエベスグラの岩穴に閉じこめた」
エベスグラは私が2月に登ったイカヅチ(伊加土・点名老洞 985m)の南東にある岩壁の地名として今でも残る。悪鬼妖怪を退治して農民の窮地を救うという筋書きの説話である。さらに、干ばつ時の雨乞い信仰での御利益を考えると、戦死した親王様への追悼というより、農民たちにとって水と豊作を与えてくれる名もなき御前様への信仰こそが地元農民の本意だったように思える。だからこそ、数百年の間登拝信仰が続いたのであろう。
(鈴木 正昭)
※1 以下参照
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