【 一般山行 】 鍋尻山( 838.17m Ⅲ等△ ) 滋賀県多賀町大字保月字ナベシリ NT
五僧峠冬季閉鎖中の開通を待って鍋尻山のフクジュソウ観賞登山を行った。近場で有りながら長く会での計画がされていなかったからか当日の参加者はTKリーダー以下21名と盛況であった。以下報告である。
- 日程:2024年4月7日(日) 晴れ
- 参加者:L.TK、AI、AM、IK、OS、KM、KM、GY、SD、ST、ST、TS、NY、NT、HT、HM、FT、FM、FI、MK、MM
- 行程:保月駐車地8:17-鍋尻山山頂9:03~17-岳の畑9:48-鍋尻山山頂10:37~11:26-保月駐車地11:57
- 地理院地図2.5万図:高宮、彦根東部
4月1日の五僧峠開通を待って保月を訪れ7日の駐車許可を戴いた。その時集落の空き地や斜面にフクジュソウの黄色い花弁が咲き誇っていた。6日後まで花期が持つかの心配も多少はあったが標高800mの山頂直下は気温が低いはずで花盛りを確信していた。
神社横の登山口を過ぎるとカタバミが白地に薄くピンクをのせて可愛く咲いていた。
立ち木がへし折れている、2018年台風21号の爪痕かと思ったが地面の倒木を見ると腐食が進みもっと古いようだ。こんな折れ方は強風以外では考えられないが、
カルスト地形特有の雨水で浸食された奇岩の大岩が現れて来た。空中湿度が高いようで岩は苔で覆われている。フクジュソウ生息の雰囲気が出て来た。
フクジュソウかと思い近付くとフッキソウであった。「富貴草」と書き「福寿草」と共に縁起の良い植物だそうだ。だがシカが食せず何故青々としたまま残っているのか?調べるとステロイドとアルカロイドの毒性物質を葉に持っているようだ。獣はよくご存じである。
季節のせいも有るだろうが青物が一切ない尾根、獣害がひどいのだろうか広葉樹を植樹していたが全て金網で保護していた。
フクジュソウの植生帯に突入、4月1日に保月集落は花盛りで有ったので標高の高い山腹では見頃と思っていたのだが既に花期を終えていた。所々に1輪か2輪程度残っているが寂しい花見登山となった。
4月1日に五僧峠から道路状況確認に訪れた折りに保月で撮影したもの、これを期待していた。因みにフクジュソウもシマリン、アドニトキシンという毒成分が有りシカの食害から身を守っている。人が食すと呼吸困難や心臓麻痺を起こし死に至ることも。
岩場の陰に花を見つけ歓声をあげスマホを向けるメンバー達、集落から高度で150mほど高いが南斜面で陽当たりが良好なために開花が早くほとんどが既に花びらを落としていた。雪山の広い尾根は雪解けが遅く、南斜面は雪解けが早い。効率的な斜光角度は30°だそうで100や200m標高が高いだけでは陽当たりの良い傾斜地の方が開花は早かったのだ。
この写真も4月1日に保月集落で撮影したものであるがフクジュソウ観賞地で有名な霊仙山や藤原岳よりも鍋尻山の群落の方が大きいと思えた。来年はぜひ盛花時に訪れたい。
山頂台地への抜け出しは急傾斜であった。雨後の下山は要注意、ヌルヌルで滑りそうズボンの尻を汚す恐れがあるだろう。ロープが張られているのも納得、正解であろう。
広い山頂台地へ出ると一気に視界が開け東から西の展望が思いのままだ。烏帽子岳と双耳峰の三国岳、御池岳、藤原岳が山頂部を出していた。
抜け出た台地は草地が緩やかに山頂へ続いていたが植生保護のネットが迷路のようだ。これほど大掛かりに保護をしなければならぬほど獣害は深刻なのだろう。
カルスト地形の奇岩に囲まれた平地の中央に山頂三角点石柱(点名・鍋尻Ⅲ等△)があった。空中湿度が高いのか岩も木々も苔むしていた。
時間が早いので北の独立標高点696mの「岳の畑」へ行くとTKリーダーは告げた。写真で傾斜を表現するのは難しいが実際はかなりの急傾斜で北斜面の為に用土は水を多分に含む、油断すると「すってんころりん」各自踏み跡のない腐葉土の上を思い思いに下った。
「岳の畑」は嘗て焼畑農業でも行われていたのか広い平地であった。目の前に権現谷を隔て霊仙山とピラミダルな点名・霊山(コザト)が見える絶景地だ。尾根下の芹川沿い河内集落は地形図を見る限り耕地に不適な急傾斜地ばかり尾根越えで耕作したのだろうか。
岳の畑から鍋尻山へ引き返して山頂広場でランチタイム1時間、思い思いにグループを形成しておしゃべりをしながら過ごした。つい先日まで雪の中で北風に背を向けていたのがウソのような温かい山頂であった。
恒例の集合写真である。春の好日お花見ハイキングのお陰か参加者も多かった。
保月集落は多賀大社参詣への宿場町として賑わったようで役場や駐在所、学校、寺も有った。五僧、杉と共に脇ヶ畑村を構成し1887年に小学校が開校されている。子供たちは五僧や杉から山や谷を越えて通ったのだが1969年に廃校になり1976年に廃村となった。
朝の駐車で最奥に突っ込んだので帰りは最後尾となった。せっかく来たのだし保月集落の歴史に触れて寺の鐘楼でも見学と思ったのだが、仲間の車4台は脇目も振らずにアサハギ林道を駆け下り行ってしまった。廃寺近くで車を止めて道路脇や土手を見ると未だフクジュソウが花盛りであった。勿体ないので小生の車のみ観賞することに・・・
五僧峠から保月、杉、杉坂峠は関ケ原合戦で敵中突破を図った島津越えの道である。島津義弘は関ケ原を脱出すると烏頭坂から勝地峠で島津の退き口「捨てがまり」戦法を駆使して追いすがる井伊、松平、本田の徳川軍を振り切った。時山から五僧峠、保月、杉坂峠は義弘が薩摩へ帰還した歴史街道である。もっとゆっくり噛みしめて帰ろう、もったいない。完
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