大垣山岳協会

月報「わっぱ」のあゆみ

TOPICS・随想・コラム

HY

月報「わっぱ」 2023年7月(No.500)

 大垣山岳協会月報「わっぱ」500号達成

 表記のように本号は「わっぱ」500号である。 よく続いたものであり、まことに目出度い。山行記録執筆を含め会員全員で成し遂げたことであり、その快挙を心から祝いたいと思う。

 この機会に「わっぱ」のあゆみを記してみよう。私の手元には1988年(昭和63年)1月号から全号揃っているが、それ以前は皆無である。それで、2006年(平成18年)9月の「300号達成記念号」を調べてみた。多分故TY前会長から取材したと思うが、8月29日付の朝日新聞の特集記事が掲載されており、それによると第1号は1982年(昭和57年)4月とのことである。今月号まで41年4ヶ月の期間続いてきたことになる。記事によると最初のタイトルは大垣山岳協会の頭文字からとった「OMC Report」で、83年8月から「わっぱ」のタイトルになったという。

 「わっぱ」はご存知の通り「輪かんじき」のことで雪山を歩く時の道具である。昔から大垣山協のトレードマークで、初期の頃は「わっぱ祭り」というのが泊りがけで盛大に行われていた。

 ところで、41年4ヶ月で500号は計算が合わない。調べて見ると、

  1. 82年4月が1号なら私の手元にある88年1月号は70号であるが68号となっている。
  2. 88年2月が69号で翌3月は79号と大きく飛んでいる。
  3. 07年4月を休んでいる。ただし、41年4ヶ月の間で休んだのはこの月だけである。
  4. 01年11月と12月が243号、07年12月と08年1月が314号でダブっている。

ということで、実際の500号はもう少し先だが、細かいことは言わずに祝いたい。

「わっば」の編集者は最初から11年12月までの29年9ヶ月間故TY前会長が務めている。その間に休刊したのは前述したように07年4月の一月だけであり、この長期間の労苦は賞賛に値すると思う。

 12年1月からSM会員が務め、その時より現在の2段組みの紙面となっている。S氏は5年半務め、17年7月より私(H)が務めているという次第である。
94年より主な山行にルート図が添付されるようになった。これはT前会長の「一枚の地図は百万言に勝る」の考えによるものである。

 写真はS会員が編集するようになってから添付されるようになった。14年10月より写真がカラーになり、15年6月より地図もカラーになり今日に至っている。

 以前と今日との大きな違いは個人山行の数である。会員が多かったこともあるが小さな活字で1ページ以上びっしり報告されており、会員の登行意欲がヒシヒシと伝わってくる。是非、この伝統は受け継いでほしく、個人山行の実施と報告をよろしくお願いします。(年号は西暦)

コメント