【 一般山行 】 寒陽気山 ( 1108.3m Ⅲ等△ 加茂郡東白川村神戸 ) 丹生 統司
当会2月の一般山行は県東南部の東白川村と白川町に境を成す寒陽気山で行われた。奥美濃や飛騨地域の冬山を知る我々にとって冬凍てつき降雪量の少ないイメージの山である。
- 日程:2023年2月12日(日) 曇り
- 参加者:L.丹生統、岩田嘉、加藤美、佐藤大、柴田悦、田中恵、竹森せ、林 旬、宮川祐、宮澤健、森川浩、山本知
- 行程:大多尾峠8:18-寒陽気山山頂9:31~10:22-大多尾峠11:26
- 地理院地図 2.5万図:神土・付知
東濃地区は内陸性の気候で冷え込みが厳しく例年この地方の山は道路の凍結を心配する。しかし、今年は奥美濃でも雪が少なく暖かい日が続いたが此処も例外ではなかった。この日峠で準備中も素手でも指が冷たく感じない、今年は異常な暖冬なのかもしれない。
綺麗に間伐、枝打ちされた植林帯に付けられた明瞭な道を歩く。此処は東濃ヒノキ銘木の産地で積雪は少ない。今日のリードは最高齢者の岩田さんにお願いしたが「無理をしないで」と念押しして後ろから懸命に手綱を引くがお構いなしですっ飛ばす。聞く耳を持たない。
大石が出て来た、足元に注意をしないと捻挫など心配なのだがトップはお構いなしにひた走る。今年は満で米寿なのだ、お調子に乗って健康を害さないか心配で・・・
岩交じりの急傾斜を登りきると背後に柿反か黒川と思われる集落が見えていた。おそらく集落左のポツンと乳首のような突起のある山は箱岩山だろう。
傾斜地を越えてやっと休憩タイム、暖かい、1枚脱いで体温調節をした。ここまで休みなし、今日の岩田氏は絶好調で皆をリードした。
階段状の傾斜地は木の根っ子が横や縦に地中から覗いていた。登山靴で削られ用土が流出したのだが残雪もちらほら出て来て濡れており滑りやすい、下りは注意が必要だ。
斜面を登りきると尾根となって道は南に向きを変えた。てっきり休憩と思っていたがトップは体調が良いのだろうドンドン進む、置いてきぼりを食い追っかける。
一ヶ所10mほどの下りがあった。雪が落ち葉の上に残っており隠れている木の根っ子が心配で注意を促した。何しろ高齢者パーティーである転倒でのケガが怖い。
さあーこれを登りきれば山頂である。先頭を行く岩田氏はとうとう1度休憩しただけで快調に山頂へ到達しそうだ。自分のペースを守ればまだまだいけるのを拝見しました。
我が会指定美濃百山A級寒陽気山山頂風景である。三角点周りには地元の小学生たちが登頂記念に持ち上げた小石が散乱していた。陽当たりの良い雪のない山頂だった。集団登山をした子供たちが敷物の上で陽光を浴びおにぎりを頬張る光景が浮かんだ。
山頂の木には小学生たちの絵馬が括られていた。「スケートせんしゅになってオリンピックに出て優しょうしみんなをえ顔にしたい」「かんごしになって人をやさしくおせわしたい」幼子たちの純な気持ちに心をうたれた。ロシアのプーチン大統領に送りつけたいと思った。
幼子たちの絵馬を見てか真面目顔である。山に登っている時の皆様の顔は少年少女のようにあどけなくて気持ちも純粋で若いです。大事にしましょう。
東白川村は明治初年、廃仏毀釈による仏教排撃運動での破壊が村内で(支配者の苗木藩)かなり徹底的に行われたようである。村内には現在も寺院は一院も存在せず全国的にも珍しい自治体だそうだ。峠から集落へ下りてくると灰色の空に寒陽気山が黒く浮かんでいた。
帰りに白川町の大山白山神社に寄って大杉を見ることにした。長い階段を登ると拝殿があり、その天井絵は寛政12年作で貴重なようである。しかし、格子戸扉越しでの鑑賞となりガラスが反射し写真では旨く撮ることができなかった。
国の天然記念物指定、大山の大杉、樹齢700年(1200年の説も)目通り幹回り8.9m、人がセミのように小さく見える。(石徹白の大杉は13.4mだからこれよりかなりデカイ)
本殿はこの階段の上標高862.47mの山頂にある。左は嘗ての階段が壊れたままの状態で現在は使用されていない。
点名・白山(862.47mⅢ等△)本殿脇にありました。
本殿裏に御嶽山の遥拝所が有ります。2014年9月27日の大噴火による63名の死者と行方不明者を追悼する展望施設です。この日は曇り空で御嶽山は見えませんでしたが心で手を合わせました。
今年の冬は何処も雪が少なく寒陽気山もほとんど無雪期状態の山頂で少々物足りなさを感じたのではとの思いがあった。大山白山神社の社殿や大杉、更には御嶽山遥拝施設等の訪問を通じ山とは違う体験をして戴いた。これまで山が終われば一目散に最寄りインターに直行でしたが良い機会に恵まれ喜んでいただけたようで一安心している。完
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