大垣山岳協会

菩提山、明神山 2021.09.07

明神山

月報「わっぱ」 2021年10月(No.479)

【 週日山行 】 菩提山 ( 401.0m Ⅳ△ )、明神山 ( 658.7m Ⅲ△ ) 桐山 美代子

  • 日程:2021年9月7日(火)(曇りのち晴れ)
  • 参加者:L.丹生統、安藤正、岩田嘉、大谷早、大塚花、桐山美、高橋文、竹森せ、堀 洋、宮川裕、宮澤健
  • 行程:岐建駐車場7:00=垂井町菩提駐車場7:15~(車回送、デポ)~8:10-白山神社8:20-菩提山城址9:00~9:20-明神山南尾根-明神山11:05~11:15-明神山の森公園11:30~12:30-明神峠-関ヶ原古戦場岡山烽火場跡13:30~13:50-岡山烽火場駐車場(デポ車2台分乗)13:55~14:15=菩提駐車場=岐建駐車場14:30(解散)
  • 地理院地図 2.5万図:関ヶ原(岐阜12-2)

  当初予定は9日の木曜日だったが、天気予報の変化によりこの日に早めて実施された。菩提山は大河ドラマ等に取り上げられる豊臣秀吉の軍師竹中半兵衛重治の居城であって、麓に菩提寺や墓所もある地元馴染みの山。ハイキングコースとして登山道は2、3有るが、今回は西方山裾、地名菩提に有る白山神社下の登山口からのコースで登った。少しややこしいがこの辺りの地名が「菩提」と言われることを初めて知った。

 白山神社下の駐車場で身支度して車2台の下山口への回送を待って登山開始。白山神社への階段から始まる。5、6分で社殿が現れ、参拝し山側横から登山道へ。境内には大木となったヤマモモの木が数本在って珍しい。関ヶ原の桃配山の桃というのも此のヤマモモであるとリーダーより解説有り。

 急な登山道を行く。30分も行くとくたびれて一休みを要求、一息つく。元気になっていよいよ城域に入り、竪堀を過ぎ各種曲輪を通って菩提山城跡の頂上に着いた。南西部張り出しに在る四等三角点を確認。眺望の良いところで暫く休憩し解説標識など読んで先を目指す。

 北西出曲輪を通って明神山への南尾根へ進む。暫く行くと尾根道が途切れ新しく開削した車道らしいものに出た。最近建設中の明神峠から池田山へ続く車道へ繋げる明神ダムからの新しい車道建設らしい。リーダーは無駄遣いだと激怒して語る。

 尾根道を探して戻り先へ。右前方遠くに明神山の姿が見えてきた。やがて関ヶ原方面からの道との合流点に小ぶりの石造りの鳥居が現れた。リーダーによれば岩手村民と関ヶ原村民が雨乞いのため明神神社へ参詣するとき合流する場所で、一緒になって雨乞いをしたと言う。明神山山頂の広場では雨乞い踊り等も行われて祈られたとのこと。

 明神神社の頂上へ向かう暫く前に、尾根は又新車道に作り替えられていて歩きにくそうだったので旧道と交わる処で尾根道から旧道に入った。途中から清水の給水場所のある方を選んで遠回りし、冷たく美味しい水を飲む。いよいよ最後の登りに掛かり、明神神社を通り頂上に到達した。全員で写真撮影して、昼食場所の明神山の森公園へ向かう。

明神山頂上で参加者一同

 直前にトイレ施設があり、済ませて公園に到着。濃尾平野が見晴らせ、風も涼しくベンチもあり、思い思いに腰掛けて1時間の昼食タイム。十分休息しお腹を満たして下山開始。

 歩きはじめると直ぐに管理棟の在る明神峠。管理人さんが草刈りしているのに出会う。9月半ばの鷹の渡りの状況を尋ねると、昨年今年とコロナ禍で野鳥の会の集まりは中止と言う。

 小屋前の崖の柵が空いている所が下山道への入り口。林間のつづら折れ道をどんどん下っていき、麓の関ヶ原古戦場烽火場に着いた。此所は黒田官兵衛と竹中半兵衛の2人の軍師が着陣した場所で、慶長5年旧暦9月15日、霧に包まれたあざみ野が晴れようとする午前8時頃、戦闘開始の合図の烽火が揚げられた場所。この合図で東軍が動き出し、その中には細川軍、加藤軍と共に金森軍に属した我が祖先もいたかと思うと感慨深い。一休みして関ヶ原古戦場を眺めて直ぐ下の駐車場へ帰着した。デポしておいた車2台に分乗して、残した車を回収のため菩提駐車場に寄り、15時大垣へ無事帰着した。

<ルート図>

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