大垣山岳協会

雪の鈴鹿三国岳・烏帽子岳周遊 2018.01.07

三国岳(鈴鹿)

【 個人山行 】 鈴鹿三国岳~烏帽子岳周遊 丹生統司

  • 日程:2018年1月7日(日)
  • 参加者:丹生統 中田英 後藤正 林旬 柴田悦
  • 行程:時山7:45→ダイラの頭10:50→点名・阿惣11:50→三国岳12:20~13:00→烏帽子時山ルート分岐15:10→駐車地16:30

 上石津町時山は我が家から近く雪もそれなりにあるので年に数回は訪れる。今日は若手と美女の同行を得て、ダイラの頭~三国岳~烏帽子岳を周遊した。大垣市の生活道路にこの時期雪があるのは此処だけ、時山の僅かな空き地に駐車の断りを入れて出発。牧田川を渡ると猟師のものと思われるトレースが目指す尾根の台地まで続いており、助かったが醍醐味が半減した。後藤君はこの日新調したスノーシューを持参、「水馬・ミズスマシ」のごとく快調に先行した。

これから向かう烏帽子岳がはるかに遠い、900mに満たない山とは思えぬほど秀麗でかっこいい。

 ダイラの頭まで来ると雪が深くなった。山頂部は地形図や山容から想像するよりも広い。これより岐阜・滋賀県境を「点名・阿惣」目指して約100mの大下降が始まった。

 100mの下降を終えて着いたコルは冬の華園、白い妖精が潜んでいそうな「お伽の国」のようだった。美女のご満悦な顔。ところが終始我々を先行していた「ミズスマシの後藤君」がスノーシューのトラブルで遅れだした。

 コルから約50m高度を稼ぐと鉄塔があり正面に三国岳を間近に見る事が出来た。そしてこれから向かう烏帽子岳への吊り尾根も眺められた。

 鉄塔から点名・阿惣まで高度差50mほどだが、岩交じりの急登である。尾根には馬酔木やシャクナゲが雪を纏ってキノコ雪となり立ちはだかる。前回はこれを越せず夏道を通過したが、一カ所雪崩そうな個所が脳裏に残っていた。今回夏道は新雪が多く前回よりリスクが大きいと判断して尾根を詰めた。

 スノーシューは急傾斜に不向きなようで壁を超えるに苦労していた。また留め具にトラブルが発生していた。

 ダイラの頭までは「ミズスマシ」と異名を取ったがここにきて・・・。点名・阿惣815m三等△にはトレースがあって、三角点は掘り出されていた。鞍掛峠から来た登山者と思われたが、強風のせいかトレースは三国岳の登りで消えていた。

 点名・阿惣から更に30分で三国岳894mに着いた。晴天だが風が強く寒い、南の斜面で昼食の大休憩をとった。

 三国山頂から一旦100m引き返すと、尾根は烏帽子へ70mの急下降となる。尾根は総じて岐阜側が急傾斜である。

鞍部に立つと強風で尾根に積雪はほとんどなくワカンを外した。写真は鈴鹿で最も太いブナだそうだ。

 二つ目の鉄塔まで来るとダイラの頭が遠くなった。烏帽子岳は近くなるとピラミダルな山容がなだらかになった。霊仙と伊吹山は白く大きく高く、近辺の山を従えて圧倒的な存在感だ。鉄塔から90m高度を稼いでやっと時山への分岐に到達した。烏帽子山頂へは行かずこのまま下山した。

 途中で雪が深くなり再びワカンを装着したが、植林帯に入ると邪魔になりまた外した。三つ目の鉄塔を過ぎて四つ目の鉄塔の傾斜地から時山集落が真下に見えた。

 これより植林帯の道を九十九折に下り養魚場に出た。ロングコースではあったが、新雪のせいかあるいは老いたせいか、8時間を費やした。しかし、とても充実した山行となった。

 我が家は関ケ原町の旧伊勢街道沿線で現大垣市上石津町牧田と50mほどの距離で接している。我が家裏から旧伊勢街道は坂道となって上石津町牧田上野へ続く、これが烏頭坂である。関ケ原合戦で島津義弘は兵800名を率いて、西軍に参陣したといわれる。東軍勝利の只中に取残された義弘は、残兵300名を率いて敵中を突破し、烏頭坂から牧田・多良と「捨て奸(ガマリ)戦法による「島津の退き口」を展開した。「捨て奸」とは小人数を留まらせ追撃してくる敵と全滅するまで戦い敵を足止めし、本隊退却の時間を稼ぐ。小部隊が全滅したら次の小隊が退路に残り全滅するまで戦う。これを繰り返して主君を逃げ切らせる戦法だ。

 旧伊勢街道では関ケ原から烏頭坂、牧田上野、多良にかけて激しい捨て奸が行われた。烏頭坂の島津豊久(義弘の甥)の碑はその激戦を今も物語る。島津軍は激しく追撃する井伊直正を萩原で重傷を負わせて振り切り、時山から五僧峠を越えて信楽、大和から堺に出て薩摩の土を踏んだ。この時薩摩に帰還した兵は80余名になっていたそうだ。その島津軍の勇猛さに家康も戦後の仕置きを躊躇、島津は本領を安堵され義弘も首が繋がった。鉄塔の基部から見下ろす山間の時山集落は狭く屋根に雪を乗せて牧田川左岸の傾斜地に沿っていた。400年前牧田川沿いの道をせわしく遡り五僧峠を目指す島津義弘一行の蹄の音や鎧の擦れる音、激しい息遣い、ふと歴史の瞑想に浸る気分にさせる鉄塔からの眺めであった。

<ルート図>

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