大垣山岳協会

2Gのモタモタ登高記・三国岳 2023.11.08

三国岳(鈴鹿)

【 個人山行 】 三国岳 ( 894m 三角点無 ) 大垣市上石津町時山 NT

 異常に暖かい今年の霜月、トレーニングを兼ねて近くの三国岳を計画した。相棒は同い年で新人時代からの友人MT、2月の冠山以来の2G(ツージイ)復活だ。ルートは阿蘇谷にとりダイラの紅葉を期待した。この頃、三国岳へはヒルを嫌い冬季に限定、しかもダイラの頭へ続く尾根を利用、阿蘇谷へ足が向くことは無かった。この季節ならヒルは大丈夫だろう。

<ルート図>
  • 日程:2023年11月8日(水) 快晴
  • 参加者:MT、NT
  • 行程:阿蘇谷出合7:-ダイラ8:44-点名・阿惣9:44-三国岳10:02-烏帽子岳時山分岐12:30-阿蘇谷出合13:40

 平日の水曜日、ゴミ出しをして女房殿の機嫌を損ねない配慮をしてR365を南へ、途中でMTを拾い時山の阿蘇谷出合へ着いた。獣害柵を開き三国岳へ、天気は上々登山日和である。

 10年ほど前はほとんどの橋が流されており渡渉していたが新たな橋が架けられていた。

 途中の橋が1ツ流されている他は全て再設置されており大いに助けられた。何度か飛石で渡ることは有ったが嬉しい誤算、これならワサビ田を再開してもいいのにと思った。

 この梯子は昔のままで残され活躍していた。これでヒルさえ出なければ三国岳への人気ルートに復活すると思うのだが、この谷のヒルの多さは半端ではない。

 ワサビ田からハシゴを登り尾根を跨いで阿蘇谷へ再び下りるのだが、ある時ヒルに我慢がならずこの尾根をダイラへ向けて直登した。結構な急傾斜と岩で有ったと記憶している。

 谷では炭焼きが盛んにおこなわれていたようでダイラ付近までに沢山の窯跡を見た。昔日の職人は山中での食生活を補う為に渓流魚を放流したようで幾度か魚影を確認した。

 右に左に何度か渡渉を繰り返す、此のところの晴天続きで水量は少ない。だが近年の台風の影響だろうか流木などで谷は汚れ荒れていた。

 ダイラ着、紅葉には少し早かったようだが気持ちの良い所である。初めて来たときは地形図に破線の記載のある本谷を詰めたが道らしきものは無く最後は急斜面を登った。次に来た時はダイラで道を見失い直接県境稜線の鉄塔付近へ突き上げる尾根を登ったがやはり最後は急斜面だった。今度こそ正確に道を踏み外さず登りたいと慎重に赤い目印を追った。

 3度目の正直、と谷中の赤目印を忠実に追っていたのだが突然またも見失ってしまった。左岸のダイラの頭へ続く斜面は傾斜が強そうなので右岸の斜面に取り付いたがこちらも手強い、立ち止まると腐葉土の下の泥が滑ってずり落ちる。息を切らして辛い登りとなった。結局今回も正確な登山道から外れて急斜面から県境稜線の道へ出た。帰宅後調べるとどうやら正規の道は左岸ダイラの頭と県境稜線の鞍部付近へ至る斜面に付けられているようだ。

 県境稜線の明瞭な踏み跡を辿ると直ぐ鉄塔へ出た。これから向かう三国岳から烏帽子岳への吊り尾根が見えて展望が一気に開けた。陽当たりも良く此処で休憩をしたかったが滋賀県側からの風が冷たく当たりを避けられる立ち木のある場所へ移動した。

 ダイラでは早かった紅葉だが県境稜線付近の樹々の葉はすっかり落ちて紅葉は既に終えていた。目印を見失って急斜面を登ったがズルズル滑る足元に気を奪われ途中の紅葉を見逃していたようだ。全くモタモタの登高である。落葉した枝越しに三国岳が見えていた。

 稜線上にある点名・阿惣(815mⅢ等△)陸地測量部はどうしてこんなに狭く細い稜線上へ三角点を設置したのだろう。三国岳山頂の方が広く展望も優れていると思えるのだが、

 三国岳山頂、三角点のないのが淋しい。いつものことだが山頂までの急な登りがきつく息が切れた。身体は正直だ、トレーニングのさぼりが直ぐ現れる。反省が長続きしないのも老いぼれた証である。登山復帰が小生より遅れた分だけ相棒は少し真面目である。

 烏帽子岳へ向けて急斜面を下る。落ち葉が滑って気が抜けない。この頃は冬しか訪れていないが雪の方がまだ対処しやすい。ワカンの爪が滑り止めに効いてごまかせる。

 三国岳から烏帽子岳への吊り尾根にある大きなブナ。奥美濃ではこの程度の幹周りは珍しくないが小生の歩いた鈴鹿で見た中では最大のブナである。

 三国岳山頂は昼食に早すぎたので此の鉄塔下でランチタイムとした。西に鍋尻山と霊仙山が青い空に浮かんで見える絶好の展望地である。鉄塔基部南の三重県側斜面で風を避けて腰を下ろした。日溜りが心地よくてこっくりと居眠りしそうな好地であった。

 烏帽子岳から南へ尾根が緩く下って狗留尊山へ続いている。その麓の蕎麦屋がたいそうな人気で美味しい等たわいのない会話が尽きない。いつまでも居座っていたい日溜りの南斜面だがきりがない、烏帽子岳の肩の時山分岐を目指して重い腰を上げた。

 時山分岐へ至る手前で鉄塔巡視路のショートカット、トラバースの道標を確認した。冬季に見て気になっていたが樹木の雪斜面ルートが不明瞭に見えて敬遠していた。一部落ち葉で踏み跡が埋もれているがルート確認のチャンスと見てショートカット道へ進入した。

 ショートカットのトラバース道は直ぐに時山ルートへ合流した。積雪時に使っても全く問題はない。時山登山道脇の尾根にはシャクナゲが多く4月の開花時が楽しみと思われたが花芽が少なく来季は裏年なのかもしれないと思った。

 鉄塔まで順調に下って来ると眼下の牧田川沿い唯一の平地である時山集落を俯瞰した。集落の川筋を目線で追って更に遡ると最奥に五僧峠がV字に深く切れ込んでいる。背後の鍋尻山の麓は滋賀県保月集落である。時山から五僧へ続く景色の谷中は歴史の香りが漂う。420年前、関ヶ原の役で敵中突破を図った島津義弘はこの狭い谷を西上し峠を越えた。このことから五僧峠を島津越えとも言うようだ。執拗な東軍井伊・松平の追撃を振り切り保月から多賀へ抜け高宮、甲賀、水口、信楽を経て堺を目指した。

 MTに耳を澄ますと「甲冑の擦れる音や兵の息づかい、いななき」が聴こえないかと尋ねたが反応はない。全くロマンのない相棒と山岳会の新人時代から50年余り2Gと呼ばれる年代まで縁は続いている。完

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