月報「わっぱ」 2014年10月(No.395)
明神洞の修験者のこと
私の出身地、根尾下大須(岐阜県本巣市)の上流、上大須に明神洞という神秘に満ちた断崖絶壁の谷がある。取り付きから厳しい滝越えがあり一生に一度は登りたいと願っていたところだ。幸運なことに2008年11月に佐竹さんに誘われ、遡行山行に参加した。
「金物を身につけて入ると嵐が来る」という言い伝えを聞いたのは後々のことだった。我々は金属仕立ての登攀用具に身を固めて入山したが、嵐は来なかった。晩秋の頃で山水画のようなすばらしい景色が迎えてくれた。
両岸の切り立った険しい沢が続く中程にテントでも張れそうな大きな洞窟があった。高さ約10m。中をのぞくと石段がありその上に細い木柱が立ち粗末な屋根が乗っていた。父の話では昔、夏になると修験者が麻縄をしめた荷を担いで現われ明神洞に向かったそうである。白髪の老人で話した事はなく、どんな人物なのか不明。洞窟へのルートも分からない。夏が終わるとまた下へ戻っていった。それが終戦直前まで何十年も続いたらしい。
その修験者が過ごしたのがこの洞窟なのだろう。傍らには「昭和十三年」と刻まれた碑があり名古屋の住所が書かれていた。なんと中区の大須であった。大須という地名は下流にあたる羽島、名古屋に見られる。一説には根尾の大須から人々が流れ出て移り住んだという事だが真偽はどうだろう。事実であるとすれば修験者は自分のルーツを求めてこの地へ修行にきていたと想像できる。
行場にふさわしい神々しい沢筋が続く。奥にはほっと安らぐような滑の流れ。が、その神秘性も上部稜線上に見える無粋な林道(旧ダム工事用道路)のために一気に吹き飛ぶ。これでは嵐も来ないはずだ。罰を与えていた神も逃げ出したに違いない。
(平木 勤)
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