大垣山岳協会

山中雑記 美濃峠再考

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2013年7月(No.380)

美濃峠再考

 4月に扇谷から杉倉に登った時の山行報告に幻の美濃峠のことを書いた。徳山(現岐阜県揖斐川町)から、福井県の温見(現大野市西谷)に抜ける古道上の峠だ。私はタケオネという尾根から県境尾根に出てすぐ東側の丘辺りが峠だろうと推測したが、痕跡は見つからなかった。その後、奥美濃の歴史民俗に詳しい高木泰夫当会会長から幾つかの関連資料を拝受した。それらを元に、詳述補足したい。

 資料の一つは岐阜登高会会報「かもしか」に載った「美濃峠と温見峠」(後藤芳雄著)。1953年4月の登山記録に次の記述がある。タキオネ(タケオネの別称)を上り詰めてから「ブナの純林の中を登ると真っ白な国境(県境)の山稜が広がってきた。……美濃峠はそれから間もなくであった」「尾根の林の中を東へたどり、杉ケ谷への降り口を探すと、ブナの梢の間から、……越前の雄峰部子山、銀杏峰が望まれた」(美濃峠から)「白い枝尾根や、谷筋の間は雪の谷を降っていった」。

 加藤復三氏の「改訂奥美濃ノート」には66年5月末の山行記録が載っている。「タキオネを上りきって、少し下がったところが峠(美濃峠)であるが、木立に埋もれて峠の痕跡はほとんどない。峠から越前側に杉ケ谷に沿って下る」とある。以上二つの資料とも、私たちが推定した1167mの標高点から約200m東方と同じ位置と見て良さそうだ。

 一方で、これと違う位置を示すのが「屏風山脈の旅」(白崎繁雄)に付く地図である。美濃峠(徳山峠)の位置は1167m点から県境尾根を東へ約1km。そこから谷筋を杉ケ谷方向に下っている。地図の記載だけで、説明文は一切ない。しかし、地形的条件を比較すると先述の位置より不利であることは否めない。

 美濃峠の実相については、実は少し丁寧に調べれば分かるだろうと思っていた。だが、峠道は昭和の初めには消えかけたとされる。往時の峠を歩いた人はもういない。言い伝えを知る村民も、徳山ダム建設で村外に消えた。何百年と続いた峠の記憶は消え果てた。

(鈴木 正昭)

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