月報「わっぱ」 2014年11月(No.396)
観音さま6体はいずこに
9月初めに私は登山の下見を兼ねて加子母(中津川市)を訪れた際、郷土史・薬草研究家の粥川亘さんを尋ねた。氏は加子母から二つの峠を越えて御嶽山に向かう木曽越古道の踏査研究を長年続けてきた。以前、お話しを聞いたことがあった。
木曽越古道は加子母から木曽越峠を越えて、渡合温泉のある谷間の平坦部に降下。さらに北上し白谷(付知川西股谷の最上流)沿いを上がり、岐阜・長野県境の白巣峠(約1400m)を経て王滝村の滝越集落に至る。御嶽山登拝道として900年の歴史を持つと言われる古道は東海や関西方面の御嶽信仰の登拝者でにぎわった。文久2年(1862年)に、加子母と付知の二人の素封家が中心となり、加子母と白巣峠間の沿道33箇所に石の観音像を設置した。道しるべと道中安全を願うものだった。
昭和の初めまで使われた古道は交通の発達と共に廃道となり、観音像は散逸、やぶの中に消えた。粥川さんら地元有志は12年前に「古道木曽越峠と33観音研究会」をつくり観音像の発見、整備の活動をしてきた。その結果、今までに27体を確認できた。木曽越峠までの13番観音までは全て見つかったが、渡合温泉から以北で6体が不明のままだ。白巣峠頂上の33番観音は確認されている。
ただ最近の4年余、新しい観音像の発見はない。会員の老齢化で現地踏査できないでいる。夏期のヒル大量出現という新たな障害も加わった。「残念ながら、活動は中断のままになりそう」と粥川さん。
今回の御嶽噴火は、加子母にも灰を降らせ、硫黄の臭いが立ちこめたそうだ。粥川さんは、噴火翌日に木曽越峠に車で上がり、目前に上がる噴煙を眺めてきた。
木曽越古道の歴史が噴火の下に埋もれないことを秘かに願うものである。
(鈴木 正昭)
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