月報「わっぱ」 2014年9月(No.394)
若き日の苦境を思う 鈴木 正昭
この8月初旬、私は南アルプス南部の易老岳、光岳に登った。南ア主峰で登り残している光岳に登るのが主目的だったが、もう一つ確かめたいことがあった。
高校1年の夏(1958)、私は山岳部の南アルプス南部縦走に参加した。易老岳から遠山川沿いの易老渡へ下るには標高差1500mも降りる。標高約1500mの面平の手前で登山道を外したのか、面平の台地を越えて遠山川に向けた目がくらむような急斜面に出てしまった。すでにバテバテ状態の部員もいて、登り返して登山道に復帰するのは無理と考えたのだろう。リーダー役のA顧問の判断で、各人のザックを斜面に転がして河原に落とした。みんな空身になって、低木に覆われた急斜面を難儀して降りた。
降り立った遠山川の水量はかなりあった。川幅も広い。A顧問あるいは上級生がロープを腰に巻いて対岸に渡り、ロープを固定。それを頼りに全員無事に渡渉できた。その時、すでに夜9時。真っ暗な森林鉄道の軌道を歩いて近くの営林署作業飯場に一夜の宿をお願いした。
今回の山行で56年前に道迷いした位置を確かめた。標高約1550mで尾根が二つに分岐、登山道は西の尾根を下るが、正面の北西の尾根を降りたに違いない。今は正面の尾根側に進まないようにロープが張ってあり、間違える心配はない。当時の登山道は未整備で踏み跡が不鮮明な部分が多かったのだろう。
以上は幻のような私の記憶による。自信がないので、同行したFS君に聞いてみると、ほぼ一致した。ただ、彼によると遠山川の渡渉は相当に危険度の高いものだった。まず、所持したノコギリやナタで切り倒した丸太を水流に投げ込み岩にかませ、丸太とロープを併用して渡ったという。なるほど、そうすれば安全度は格段に高まる。顧問や先輩の適切な判断に改めて敬意を抱いた。
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