大垣山岳協会

山中雑記 昔「天の原」があった

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2014年7月(No.392)

昔「天の原」があった 平木 勤

 岐阜県根尾村下大須(現本巣市根尾下大須)の下村で幼い頃を過ごした。暮らした家からは正面にチョウシ山(997m)が小さな富士山のように見えた。山といえば今でもこの山が思い浮かぶ。

 この山の東に穏やかな台地が広がる。それは地形図を見ても一目瞭然だ。古くからこの辺りを「天の原」と言った。「天の原」の名を初めて聞いたのは父(86歳)からだ。私が幼い頃、「上に『天の原』がある」と話したのを記憶している。その後、「天の川」の聞き違いではなかったかと疑っていた。

 歳月が過ぎ、たまたま自宅にあった「根尾村史」を開いているとこの地名に出合った。「天の原」は聞き違いではなかった。村史によれば昔、隠居衆(60歳以上の人のこと)が標高950~1000mの台地に登って焼畑農耕を営んでいたという。一瞬、姨捨山的なイメージを思い浮かべたが、そうではなくもっと建設的な話のようだ。雪融けを待って山に上がり作物を栽培し雪が降り出せばまた里に降りる、という生活だったらしい。

 「天の原」近辺は交通の要所でもあった。下大須から峠を越えて美山町の仲越へ繋がる歩道がすぐ間近を通っていた。外部との交通の便利な位置にあったと言える。

 最近、父に確認してみた。「天の原」の農耕は祖父(私の曾祖父)の頃まで実際に行われていた。父はその跡地に人に頼まれて檜を植えに行ったという。父が16、7の頃、すなわち終戦前の話だ。

 今、この「天の原」へは和井谷から林道が通っている。道の状態が良ければ車で上がれるが「天の原」というイメージにはほど遠く、荒れた台地が広がっている。それでも粘り強く探せばかつての焼畑農耕の痕跡が見つかるかもしれない。

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