月報「わっぱ」 2014年6月(No.391)
古地図で古道を知る
奥美濃の深山に入ると、昔の人々が往来した古道があったことを知る。その廃道を歩いて見たい願望がよく起こる。しかし、道が地図上でどこを通っていたか、多くの場合不明なことが多い。市町村史誌にも明示してない。
そこで、古い地形図に記載があるだろうと、4月初めに国土地理院の名古屋地方測量部に出かけた。ここでは、東海4県の地形図すべてについて、明治からの全ての旧版を含む全版が無料で見られる。ただ、パソコンに入力した地図画像を閲覧する形をとっている。
まず、明治42年作成の5万図「冠山」(地図名はこの時のみ、「夜叉ヶ池」)を見る。歩道を示す波線は徳山村塚のシタ谷と中ノ又谷の間の尾根を上がり、県境尾根から越前・田代に下りていた。しかし、波線の記載は昭和51年版で全て消滅した。徳山村史も明記してないコースがこれで判明した。
次に徳山・門入から金ケ丸谷を詰めて県境を越え越前側に至る古道だ。以前旧住民から存在を聞いたが、村史などの文献にも現れない幻の道だ。これが出ていたのだ。明治42年初版から昭和26年版までの各版に波線が広野の奥の二屋まで延びていた。が、昭和40年版から全部消滅した。
さらに、徳山・櫨原から越前・温見を結ぶ美濃峠道もコースが確定できた。同じ5万図「冠山」では扇谷上流から谷を詰め切り県境尾根から杉ヶ谷を下降。作ムツシ経由は昭和40年版ですぐ西側の滝尾根上に変わっている。昭和51年版で波線は消滅した。
文献にも記されず、伝えてきた住民も消える。古地図の資料的価値が高いことを知った。ただ、パソコン画像は見るだけで、写真撮影は許されない。コピーは入手できるが、1枚500円(送料別)もする。国民の資産だ。ちょっと高すぎる気がする。
(鈴木 正昭)
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