月報「わっぱ」 2014年2月(No.387)
【 週日山行 】 納古山 ( 633m Ⅱ△ ) 桐山 美代子
- 日程:2014年1月14日(火)
- 参加者:L.丹生統、小倉繁、鈴木正、竹森せ、大原和、桐山美、小林和、大城幸、清水友
- 行程:大垣7:00=七宗町上麻生・木和谷駐車地9:15-中級コース登山口9:20-大牧谷分岐9:40-大岩展望台9:55-納古山10:40~11:45-初級コース合流点12:10-神淵(かぶち)・下麻生境界碑12:30-駐車地13:00=大垣
- 地理院地図 2.5万図:上麻生
長年リーダーを勤めた村田さんから、4人が交代制で引き継ぐことになった「週日山行」。今日はその初の山行だ。リーダーを務める丹生さんを含め9名は薄暗い人工林内の木和谷林道脇の移動トイレ付き空き地に駐車。林道を進むとすぐ、「木和谷中級コース」の道標があり、枝谷沿いの同コースに進む。スギ林の中は冷え冷えしていたが、やがて斜度が増し汗ばむころ、納古山から南に延びる尾根上の大牧谷分岐に出た。
人工林は消えて広葉樹二次林に変わり展望が開けた。大岩の上からは東や南が開けて恵那山や飛騨川沿いの街並みが広がる。尾根は痩せて岩壁が数カ所現れるが、順調に登りきり、納古山山頂に達した。
頂上は360度展望全開の中にあった。東正面には恵那山(写真① 左奥)、北には雪の御嶽山、その横に乗鞍岳、乗鞍岳から白い尾根が北に延び、その鞍部の奥にちらっと槍ヶ岳の穂先。後ろを振り返れば形の違って見える伊吹山や名古屋のツインタワー、眼下に飛騨川の川面が光っていた。山頂には木のテーブル、椅子もある。天空の食卓で昼食。
風もなく陽光暖かく、青空の下の雪の連嶺を眺めながらの休息。立ち去りがたい山頂に別れを告げ、往路を少し戻る。木和谷初級コースに入る。やがて、尾根道の中央に「第2号境界標」の石柱。神渕村と下麻生村の境界碑だ。石柱には「明治41年10月16日立会査定」と彫られ、古い割に傷みはなく文字も鮮明だ。大切に守られてきたようだ。間もなく、木和谷林道に出て駐車地に戻った。
後で知ったが、納古山は藩政時代から明治にかけて173年に及ぶ入会い山境界紛争(山論)が続いた山であった。その村人たちの歴史的経験が石の境界標を103年後まで新しい姿に保たせたのだろうか。石柱の位置は山論の続いた川辺の北隣の七宗であったが、その歴史上の知恵に学んだ証しではなかろうか。
<注 能古山論>
納古山は古来、能古山、またはのふこ山と記された。上川辺、鹿塩、下川辺、栃井、中之番、石神の六ヶ村の入会山として農耕用や燃料用の草木の採取が村民に認められていた。宝永4年(1707)に上川辺と鹿塩の上流2村と下流4村との間で境界をめぐる紛争が起きて、幕府評定所にまで持ち込まれた。翌年、幕府の裁定により、論争は収まったが50年後に再燃。明治維新後になっても東京、大阪上等裁判所、大審院で審理が続いたが、裁判費用の負担に耐えられず、訴訟取り下げの形で和解、決着した。
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