大垣山岳協会

桧峠‐天ケ峯古道巡り歩き 2024.01.27

天ケ峯

【 個人山行 】 桧峠‐天ケ峯古道 SM

  • 日程:2024年1月27日(土)
  • 参加者:SM(単独)
  • 行程:春日井市少年自然の家前の駐車地9:50→激薮突破→10:55市道外之原北線出合→11:20桧峠→11:30古道入り→11:55南下ポイント→12:20諏訪町入口→12:30諏訪町公民館前1:00→1:10やぶ道取り付き→1:50愛岐処分場(名古屋市営)外周道路→2:30外之原林道出合(外之原峠)→3:05外之原集落入り→3:40駐車地
  • 地理院地図2.5万図:高蔵寺

 この22日に試みて、中途退散した多治見・諏訪町天ケ峯への古道踏破に再挑戦。前回と同じように、春日井市細野の大国神社前から農道を進む。獣避けゲートを開けて薄い踏み跡を進む。竹林や厚い枯葉道が続く(写真①)。心うきうきする雑木林歩きである。だが、桧峠に向かう市道に出る手前の平坦部で手強い低層薮の猛烈な網壁。木枝やつる枝、穂先の花粉の間を潜り抜けた。僅か200mほどに30分ほどを要した。(写真②=正面の隙間を潜って間もなく市道外之原北線に出た)

写真① 心うきうきする雑木林歩き
写真② 低層薮の猛烈な網壁

 この後は初期の目論見をほぼ実現できたと思っている。愛知・岐阜県境の桧峠の100m北にある用水池から東に向かう古い歩道に入る。この道は地理院地図に記載されているが、今は誰も通らない消えゆく道である。(写真③)標高300m前後の緩やかな尾根筋を東に向かう。800mほど進んだ位置で南に下りる道が派生する。前回山行ではここで引き返している。これを進んだが、谷間に下りたところで消えた。さほどの藪はない。東側の小高い尾根に上がると古い踏み跡があったので下りると谷筋に降り、やがて幅広の道跡が現れた。

写真③ 用水池から東に向かう古い歩道

 明らかに昔の林業、あるいは農作業の道だろう。やがて、段々畑が現れる。各所に石垣が積まれている。畑跡には3,40年生のスギやヒノキが林立していた。(写真④)山間農地を破棄した際に植林したのだ。何度となく見た光景である。賑やかだった山あいの田や畑での人々の声が聞こえて来るような思い。さらに、最下部に小さな祠があった。(写真⑤)棚田へ行き来の際に村人が豊作や安全を祈ったのであろう。

写真④ スギやヒノキが林立した畑跡
写真⑤ 小さな祠

 後で知ったのだが、私が歩いた谷コースは地理院地図に記載の尾根筋コースではなく、その西側の谷を降りていた。尾根コースを降りていたら、棚田跡には遭遇出来ていなかったのだ。棚田の谷から諏訪町の中心地、天ケ峯地区に出た。小広い公園地がありその端に大イチョウが冬立ちしていた。秋にはここで、この地に伝わる民俗文化財、小木の棒の手が披露されるそうだ。(小木は古い時代の地名)(写真⑥=奥に諏訪町公民館が見える)

写真⑥ 冬立ちしていた大イチョウ

 天ケ峯の中心部には舗装路が通じている。北側は中央線古虎渓駅方面に、南側は土岐川沿いの主要地方道名古屋多治見線に通じている。つまり、外部へは車で簡単に出入りできるのだ。戸数は20戸ほどと見た。ほぼすべての家に車が駐車している。今は「天ケ峯」という孤絶集落ではなく、近辺の職場や買い物などに簡単に行き来できるのだ。住民にあの棚田や今の生活についてお聞きしたかったが、機会を持てなかった。

 短い昼休み後、車道を離れて、地図に載る南下する歩道を進む。その入口の樹林の中に土壁の土蔵や倒壊した家屋が3戸並んでいた。つまり、天ケ峯地区の昔の戸数は現在より相当多かったのだろう。尾根に向かって延びていた掘割り道は緩い尾根にでると不鮮明となる。右往左往しつつ道跡を求める。やがて樹木が消え明るい草原に出た。昔の田畑のあった農地の跡だった。(写真⑦)天ケ峯の農家の重要な地。今では道さえ消えている。

写真⑦ 農地の跡

 畑跡の端の小道を上がると、広大な土の平原と池二つが眼前に広がった。名古屋市の愛岐処分場だった。緩斜面に広がる109haの平原に名古屋市民の廃棄物を埋め立てる処分場が出来たのは1982年のこと。2022年4月には埋め立て可能容量の91%が使用済みと、同市のホームページにあった。名古屋市民のごみをなぜ多治見に廃棄するのか。79年に地元の諏訪町内会の合意を得た時、反対運動が出なかったのだろうか。現今なら地元同意は考えられないことだ。

写真⑧ 名古屋市愛岐処分場

 外周路に2009年の松原武久名古屋市長の声明文が掲げられていた。「2009年に名古屋市はゴミ増大の危機に達したが、岐阜県、多治見市、諏訪町の皆様のご理解により、ゴミ埋め立て容量の増加が実現し、危機を脱した。この処分場は名古屋市のゴミ処分の要です。これからも大切に使い続けて行きます」 地元の人たちは今どう思っているのだろうか。

 ここから処分場沿いの舗装路を進み、外之原峠で外之原林道に出た。桧峠から南下した東海自然歩道はここで交差している。

 峠から1㎞余は狭い舗装路が続く道。道中、出合ったのは車の一家5人だけ。路側のコンクリ壁でボルダリング遊びをしていた。

 我が家近郊の山里あるきで、やたら出会うのは山地を大規模に掘ったり切り取ったり埋め立てるなどの山野改変の事業である。本日も、細野から桧峠までの道脇で土砂採掘場2か所、帰路では廃棄物処分場のほか土石採掘場1ヵ所(操業停止済み)と出会った。人目に付かないヤブ山歩き派には当然の出合ともいえるが、自然のままの山野を求める者にとっては辛いことだ。一方で、これら山野掘削の自然破壊は私たちの生活資材の原料生産、あるいはその廃棄物処理の跡なのである。道やビルや車や公共建物、食糧加工品などの過大使用の結果であろう。私たちが造り上げた光景だと言える。最近の低山山行でそう思う光景にしばしば出合う。自分への警告でもある。 完

写真⑨ 細野から桧峠までの道脇の土砂採掘場
<ルート図>

発信:1/31

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