大垣山岳協会

桜の名所から古刹へ周回・汾陽寺山 2022.08.07

汾陽寺山

【 一般山行 】 汾陽寺山 ( 519.5m Ⅲ△ ) 丹生 統司

 8月の一般山行は田中恵子Lの下で関市武芸川町の寺尾ヶ原千本桜公園から中部電力巡視路を使用し汾陽寺山(519,5m)を登り汾陽寺へ下りるコースで行われた。連日、線状降水帯による大雨で滋賀や福井、石川、新潟などでは大変な災害が報じられていたが当日の汾陽寺山周辺は雨の心配は無かった。これはリーダー始め参加者の日頃の善行のご褒美であろうか、以下報告である。

  • 日程:2022年8月7日(日) 曇り後晴れ
  • 参加者:L.田中恵、SL.藤野一、阿部育、安藤正、岩田嘉、大谷早、小倉繁、桐山美、後藤正、清水友、竹森せ、成瀬八、丹生統、藤井利、藤井真、宮澤健
  • 行程:寺尾ヶ原千本桜公園8:30-汾陽寺山10:05~25-汾陽寺11:30
  • 地理院地図 2.5万図:岩佐

 春には賑わう千本桜公園の広い駐車場は我々の貸し切りで有った。汾陽寺へ車をデポしに行った仲間が帰って来てイザ出発、曇り空だが無風で蒸し暑い日になりそうだった。

 県道から標高差80m、急斜面に付けられた九十九折の巡視路を辿った。道は手入れが行き届いて歩きやすいが無風で蒸し暑かった。

 急斜面には山栗の木が多かった。山栗は甘く美味しい、秋の山登りはキノコなど思わぬ収穫ににんまりすることがある。今からもう秋の山を想像している。

 長く続く不純な天候で広葉樹の林は葉を茂らし向かいの権現山が樹間から垣間見える程度で有った。166番鉄塔に到着すると初めて向かう汾陽寺山が見えた。

 シロオニタケ、又は、オオシロカラカサタケと思われる。いずれも毒キノコのようである。誤って食べると1時間から3時間後に腹痛から下痢、嘔吐の症状が現れるようだ。

 確信は無いがコガネタケと思われる、これも毒キノコのようである。よくわからないキノコは採らない、食べない、手を出さない。

 主尾根に出ると檜の植林帯の中にリョウブやホウノキ等の灌木が混成していた。今日は高曇りで日差しはないが樹々に囲まれ晴天時の直射は避けられるだろう。

 主尾根は北から湿気を含んだ冷風が樹々の間をすり抜けていた。リーダーから気遣いの「休憩タイム」のコール、汗ばんだ顔を冷気に晒して水分を補給した。

 165番鉄塔から県道59号を挟んで東に権現山が樹木に邪魔をされずに見えた。南の武儀川沿いから見る三角錐の山容はすこぶる登山欲をそそる山である。酷暑の盛りでなければ汾陽寺山から周回するプランが一般的であるが。

 遠く北の方角に高賀山がピラミダルな山頂部を雲に隠していた。北西の船伏山も独特の船底のような山頂部が雲の中であった。

 汾陽寺山到着、周囲の木立が高く眺望は全く効かない。三角点付近の用土が風雨で削られておりいずれ歯槽膿漏状態となるであろう。

 点名・谷口(Ⅲ等△519.5m)、地形図には三角点傍に電波塔マークが記載されているが既に撤去されたのか構築物は無かった。標石柱の東が人工的な平地となっており此処に電波塔が建っていたのだろう。

 展望の効かない山頂を後にして尾根を西に辿り汾陽寺へ向かった。

 尾根の林の中で見付けた、班模様が薄いがミヤマウズラと思われる。ラン科シュスラン属の山野草、開花前であったが一目で可愛い花だろうと想像できた。見たことは無いが薄紅色の花を咲かせるようだ。

 寺の由緒書きによれば、乾徳山汾陽寺は臨済宗妙心寺派の寺院で嘉吉元年(1441)土岐氏執権斎藤年永の創建である。利永は春日局の父、斎藤利三と縁続きで局はしばしば当院に参詣したという。本堂は元治元年(1864)庫裏は明治24年(1891)の建築だそうである。

 平安時代末期作の国重要文化財指定「涅槃図」は拝観しなかったが参道の苔むした石垣や石畳が印象的だった。大きな境内を尼僧一人では御守が大変だと感じた。

寺尾ヶ原千本桜公園
 関市役所広報によれば戦後昭和26年11月寺尾ヶ原にバス路線が開通した。折しも2ケ月前の9月にはサンフランシスコ講和条約が締結されていた。あくる昭和27年3月、平和への願いを込めて寺尾区民総出で桜の苗木300本が植えられた。これが「寺尾千本桜」の始まりだそうだ。現在では寺尾峠から2㎞に約1000本の桜並木が春に桜花のトンネルを作り屋台が並び夜間にはライトアップされて平和を甘受している。

 本日の参加で80歳以上は4名、最高齢は86歳で会員の幅の広さを象徴している。最高齢者のI氏は戦後日本の高度成長を担った年代で60歳の定年退職を機に山登りを始められ日本300名山を完登した。一時期膝を痛めて治療に専念したが期待した結果が得られなかった。そこで医療を諦め、毎日2時間の早朝ウォーキングを続けると膝の筋肉が発達して痛みは完治した。現在もウォーキングは継続中で以前我が家の近くでお会いしてビックリしたことがある。山登りは生涯スポーツといわれる、その実践のお手本である。完


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