大垣山岳協会

松葉洞 周回かなわず半回記 2021.12.23

点名・門出

 板取山系松葉洞を周回する尾根筋を完登しようと、地元に住む知人を誘った。首尾よく一番高い点名門出(815m△Ⅲ)に達した。しかし後半部の下り行程に入り、間違った尾根に迷い込み急降下。タラガ谷沿いの車道に出てしまった。まだ魅惑的な尾根を長く残して無念至極。地図、地形の読み込みの不足や甘さを改めて痛感する。一方で温暖化による樹木の繁茂で見通しが悪化。やぶ尾根歩きはどんどん難しくなりそうだ。

【 個人山行 】 点名・門出 ( 815m Ⅲ△ )  鈴木 正昭

  • 日程:2012年12月23日(木)
  • 参加者:鈴木正、HN氏
  • 行程:
    自宅発23日6:00⇒中央道⇒東海環状道⇒美濃IC⇒県道81号⇒国道256号⇒門出南・大道神社前駐車地(岐阜県関市板取)
    出発(標高約270m)8:10→門出南登山口→9:40石のお地蔵様→10:00峠(古道から離脱)→北東尾根道→10:35点名門出10:55→東尾根降下→11:40・758m標高点→2:20タラガ谷沿い旧国道出合→3:00加部集落→3:20駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:上ケ瀬

 今年9月に松葉洞の沢登りを考えて、地元の知人に話すと、ヒルがひどいのでやめた方がよい、と忠告を受けた。そこで時期を待って今度は洞の周回尾根をぐるりと回る計画を立て、加部在住のHNさんの同行を得た。出発地は門出(かどいで)南地区。山すそにある大道神社に参拝し、裏側の薄い踏み跡を登りだした。踏み跡もない人工林内を上がり、小さな尾根筋を登ると掘割り状の古道に出た。この道は地理院地図に破線記載がある古道である。北東に尾根伝いに4㎞も伸びている。昔は林業仕事や農業資材の運搬、シイタケ栽培などの生活路だった。HNさんは、この道を通り牛を上部の平坦地に上げて放牧したという話を聞いたそうだ。

 眺望のないヒノキ林の中、歩きにくい掘割りを避け左右の縁り道を選んで登る。

 623mの標高点は小広い丘で、コウヤマキの大木の下に石のお地蔵様。「明治5年6月 施主 村中 長屋長三郎」とあった(写真①)。門出の有力者の寄進だったのか。この前の空地に祠か休憩小屋があったかもしれない。

写真① お地蔵様

 一帯はヒノキの人工林ばかり。眺望ゼロが心理的な不安をもたらす。標高770mで上部尾根との峠に出る。古道と分かれてササ原の踏み跡を進む。細い尾根は次第に広い丘に進み、小さな山名板の下に点名門出の点石を見つけた(写真②)。

写真② 点名・門出

 山頂の直前50mほどでヒノキ林は途切れコナラやカエデなどの広葉樹の冬枯れ林となった。わずかな雪が散らばる地表に明るい日差しが落ちる。まばらな木々の向こうに東から北へ御岳、乗鞍、北アの白い峰々、北側には白山のまばゆいばかりの雪峯が目に入った。

 点名門出から南下尾根に進む。再びヒノキ林内となるが、尾根の見分けはしっかり判別でき、踏み跡は全くないがなだらかな枯葉尾根をすたすたと、下った(写真③、④)。

写真③
写真④

 もちろん終始地図とコンパスを確認しながらだ。乱調を来たしたのは758m標高点を降りてすぐ、右側(西側)の広い尾根を降りてしまう。すぐに岩稜が出始めたが、明確な尾根が現れずミスに気づいた。約100mも無駄な上り下りをした。

 元の尾根に戻り、約300m先で致命的なミスを侵した。南西に派生する尾根を見逃して、その先の尾根筋が明確な南東に降りてしまった。次第に傾斜が急になり、岩稜帯さらにヒノキ林の急斜面。誤りに気付いた時にはもう戻る余地はなかった。高低差約300mの急斜面を下った。最後に着いたタラガ谷車道のコンクリート法面には獣よけ金網が張ってあり、その上をロープで下降した(写真⑤)。

写真⑤

 今回の道迷いの主因は歩行距離認識の誤りでもある。曲がるべき分岐の位置を誤る。下る場合、同じ方角への派生尾根は幾つもある。目標の尾根を間違わずに選ぶには正確な距離判断が求められる。市街地を歩いても同じことだ。ただ、今山行での尾根筋は濃密な樹林が邪魔して分岐尾根が見通せなかった。背伸びしたり位置を変えたりして下方の尾根筋の行方を追うが、加部集落に降りる長い尾根筋は一度も見られなかった。
 
 近郊の里山は4,50年前にはどこもつるつるのはげ山ばかりだったという。だから、やぶ山歩きは簡単だったはずだ。近年、どこでも樹林の過剰繁茂現象が見られる。遠方の尾根や山が見えず方向感を失う。だからと言って、GPSアプリを使おうとは思わないが、有効な対策や気構えを持たねばと痛感する。

 今思うに、この山行には事前に幾つかの狙いあるいは目論見があった。素人とはいえ、長年歩き見つめてきた山野林野の現実を見極めたい。その一つは戦後劇的に拡大した人工林の実相や広葉樹二次林の様相を自分なりの目と頭で観察し、林野の現代的意味や存在価値を考えたい。最近の低山歩きではいつもそう思っているが、道迷いをすると、とたんにその余裕を失う。がむしゃら登山では脳内は道探しでいっぱいとなる。林野観察は休止となった。

 一方でハラハラ緊張感のない登山ではつまらない気もする。けっこう手に汗握る面白い山行でした。つい、どっち付かずの性分がでてしまう。

発信:12/26

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