大垣山岳協会

遠く奥深い山・奥三界山(美濃百山B級) 2023.06.25

奥三界岳

【 一般山行 】 奥三界山(1810.7m Ⅲ等△) 中津川市川上 NT

 6月の最終日曜日、Sリーダーの下、15名の参加者で裏木曽の奥三界山を登った報告である。奥三界山と地元では親しく呼ぶがなぜか国土地理院地図は奥三界岳となっている。

<ルート図>
  • 日程:2023年6月25日(日) 晴れ
  • 参加者:LSD、OY、ST、SM、TM、TK、NY、NH、NT、HN、MY、MT、MM、YC、IY(新)
  • 行程:夕森キャンプ場林道ゲート7:15-川上川渡渉7:57-夕森田立林道合流9:15-登山口10:12-廃小屋10:48-鏡池12:30-奥三界山12:37~13:10-夕森キャンプ場林道ゲート16:59
  • 地理院地図 2.5万図:奧三界山

 夕森キャンプ場林道ゲート前に駐車して出発した。忘鱗の滝や銅穴の滝、岩を噛む川上川急流渓谷など見所一杯の林道歩きは和やかで会話も弾んだ。

 林道から山道へ入ると30m下降して川上川本谷降り立つと吊り橋が有ったが「通行止め」大丈夫に見えたが此処は自重した。本谷渡渉もさほどの困難はないので飛石をした。

 川上川を渡りいよいよ本日一番の難所、夕森田立林道まで約350mの急登である。道は九十九折を繰り返して高度を稼いだ。汗が滴ったが時折抜ける深山の冷風に助けられた。

 川上村はヒノキの良材山地、斜面には1mを越える古い切り株が沢山残されていた。家康は第9子尾張初代藩主徳川義直の婚儀にあたり台所料として裏木曽3ヶ村(川上、加子母、付知)を含む濃州3万石を義直に与えた。これが尾張藩御料林の始まりで「ヒノキ一本首一つ」と言わしめ、木曽五木が指定され留山や巣山が設けられて山守が置かれた。

 標高1200m、急斜面の登山道は夕森田立林道が細尾根をヘアピンで廻り込む所へ出た。木立が影をつくっており深山の冷風が通り過ぎて実に心地よい林道休憩地であった。

 前方谷奥に滝が見えて、その笹原の斜面の上に稜線が見えた。鞍部から右に辿れば夕森山へ、左に見える高みは奥三界岳の前山1708m峰であろう。

 夕森山林道の折り返しは橋を渡った未だ先なのだが奥三界山への道標が?この先のヘアピンカーブのショートカットルートが新しく出来たのかもと思っていた。

 2014年に訪れた際に夕森山林道の分岐を折り返した橋から仰ぐ滝のカメラアングルが良かったとの記憶が甦る。確認しようと林道を詰めて近寄ると橋脚のみで橋桁が無くなっていた。当時、だいぶ古くなっていたと思い出した。

 ショートカットではなく橋が落ちた為に新たに造られた道を道標に導かれて急斜面の階段を30m登った。再び林道へ出たが草木が茂り大小の石が道を狭くして歩き辛く既に廃林道で有った。川上川本谷の奥に高みが見える奥三界山の山頂部だろうか、

 廃林道の最奥に朽ちた飯場跡が残っていた。2014年に訪れた際にも既に廃屋でここが登山口だったと記憶している。小屋周辺にはヤマブキが沢山有って帰りの収穫が楽しみだ。

 廃小屋から急斜面を登りきると尾根はヒノキの植林帯となっていた。それを抜けると夕森山へ続く笹の海原と枯れた立木の景色が絵画のようで一時疲れを忘れさせた。

 笹の原から滲み出た一滴が礫岩の谷筋を抜け清水となっており掬って飲むと冷たく美味しかった。「ひるめし谷」を時折靴底を濡らして登りきると再びヒノキの植林帯に入った。

 シャクナゲは既に花期を終えていたが山頂に近い所ではサラサドウダンが見応えがあった。鈴鹿や奥美濃で見る薄ピンクと違い紅色が濃い天然の紅サラサドウダンだった。

 「枯れ木のダオ」を過ぎると緩やかで広い尾根は小さな起伏を繰り返した。鞍部はドロ田状態でぬかるんでおり雑木を敷いた上をバランスで歩行した。鏡池と呼ばれる所では花期を終えて大葉に成長したミズバショウの歓迎を受けた。

 山頂に着くと先ず登山道脇に石柱の天端四隅を三角に削った御両局の三角点が迎えてくれた。10年前に登った記憶を辿るも全く覚えていないが尾張藩の御料林だったのだから珍しいことではない。御料林は明治後宮内省御料局が測量三角点を敷設した。

 展望台手前に旧陸軍陸地測量部が施設したⅢ等三角点石柱「点名・奥三階」が有った。石柱天端の四辺がメン取りされており珍しい。(北アルプス国有林に多く残されている旧農商務省山林局の三角点は天端が丸く見えるほどもっと大きくメン取りされている)

 梅雨最中の晴天であり御嶽山などの高い山は見えなかった。展望台はかなり朽ちていた。近頃体重オーバーが気になっており踏み抜きが心配で登るのは思い止まった。

 「奥三界山」は三界山の奥山ということで地元では親しみを込めて「おくさんかいざん」と呼ばれていた。国土地理院が「奥三界岳」と表記した為に道標や山名板表記が「岳」と「山」と入り混じり両立していた。地理院の誤記は他でも多いようで地元で親しまれた呼び名へ早く改めて戴きたいものだ。

 急登のあとの長い林道歩き「奥三界山」は奥深く遠かった。15名の大所帯とあって行動時間が長くなった。下山時間が遅れたが参加者全員が山頂に立てたことがパーティーとしては何よりであった。

 今回初参加のTさんは旨く会に馴染めたようで安心した。体験参加のIさんは会員との会話の様子から雰囲気も良かったようで帰りの車中で入会の内諾を頂いた。早く会員と馴染むことが知識や技術アップの近道である。来年の今頃は成長した自分を必ず確認できるだろう。完


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