大垣山岳協会

虎子山(1183mⅢ△)登山報告 2023.01.22

虎子山

【 一般山行 】 虎子山とらすやま ( 1183m Ⅲ△ ) 鈴木 正昭

 岐阜と滋賀の県境尾根にある虎子山(点名古田Ⅲ△1183m)に大垣山岳協会の仲間5人と登った。26年前の冬に単独で登った時の記憶は全く消え失せている。2年前までスキー場があっただけに積雪量の多い山域。心配は無用だった。少ない雪に寒風も緩やか。時折まばゆい陽光が降りそそぐ中、茶色の枝先を広げる落葉広葉樹林の下を歩いた。茶色と木の幹の薄い灰色、そして地肌の雪の白。今でも心に染みる光景が蘇る。

  • 日程:2023年1月22日(日)
  • 参加者:鈴木正、大垣山岳協会山行同行5人
    • 行程:22日(日)
      自宅5:20⇒名神高速⇒東海環状道大垣西IC⇒国道21号・岐建駐車場⇒県道241号(大垣池田線)⇒県道32号⇒春日美束の国見岳スキー場跡手前の国見林道路側に駐車
    • 駐車地(標高約550m)7:50出発→8:25鉈ケ岩屋入口通過→9:10国見峠9:20→11:00虎子山山頂→11:20尾根屈曲点で昼食11:40→12:30国見峠→鉈ケ岩屋分岐→1:10鉈ケ岩屋近くの巨石→1:50国見林道出合→2:25駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:美束

 曇り空の間に青い空が広がる。寒風もない。国見峠に向かう国見林道の舗装路を歩き出す。疎らな雪は間もなく路面全部を埋めるようになり、古い車のわだちと足跡を追う。9日に下見に歩いた時はここで積雪30㎝ほどあったが、今日は10㎝くらい。2年前に廃業したスキー場跡の東側を蛇行する林道。時折、古い足跡に踏み落ちることもあったが、堅い雪面を快調に歩いた。

 標高差300mを1時間20分かけて小広い国見峠(写真①)。無雪期なら車でここまで来られる。峠のお地蔵様に手を合わせて、すぐ岐阜滋賀県境尾根を取っ付く。狭くて急な小尾根。雪が少し増えたが、ワカンを付けるほどでなく、みんなスタスタ登る。左の滋賀県側はヒノキの人工林、右の岐阜側は落葉広葉樹の二次林。尾根上の登山コースの雪面には人の足跡はなく、動物たちの踏み跡に導かれて進む。にやぶはほとんどなく、各所に古いテープ目印があり、迷う心配はない。1180mのピークを真北に曲がり二つ目の小ピークが虎子山山頂(写真②)。山名板が二つあったが、三角点は雪中で不明。積雪は40㎝ほどか。やや曇り空の下、北に貝月山(1234m)、北東奥に鍋倉山(1496m)の山域が見える(写真③=右下にスキー場跡地がある/宮川氏撮影))が、どれがピークか判別できない。これぞ、奥美濃ヤブ山の魅力かもしれない。

写真① 国見峠のお地蔵様
写真② 虎子山山頂
写真③ 北に貝月山(1234m)、北東奥に鍋倉山(1496m)、右下にスキー場跡地(宮川氏撮影)

 登頂バンザーイの後、下り始めすぐ、気が付いたのは、左側岐阜県側斜面に広がる落葉広葉樹林の冬枯れ姿だった。尾根右側斜面は黒いヒノキ林が広がるが、対照的に尾根の上のコースはコナラ、クヌギ、アベマキ、それにブナも含めた落葉広葉樹ばかり。同じ林相は尾根ばかりでなく、岐阜側の下部斜面(ほとんどがスキー場跡地)に続いている。葉はすべて落ち、雪の下。細い枝先の赤茶色が地面の雪の白さに浮き立っている。明るい陽光が木枝の間にふんだんに差し込み、眺めると実に気分が明るくなる。(写真④=前方角ばった峯は国見岳)暗くて見通しの効かないヒノキ人工林やシイ・カシ林を歩く時とは格段に楽しい。

写真④ 前方角ばった峯は国見岳

 国見峠に戻るとすぐ、次の目標の「鉈ケ岩屋」(東本願寺の開祖、教如上人が一時隠棲したとされる<注>)に向かって、国見林道を横切り県境尾根を東行する。東側の滋賀側から登山道のある尾根筋はすべて暗いヒノキ林内。昼食後に付けた軽アイゼンを急な雪面に効かせて登る。国見岳への登山道から分岐する尾根を南下。訪れる人が多いのか、ビニールひもやテープが多い。すぐに枝尾根の西側斜面に巨岩二つ。これが鉈ケ岩屋だろうと思い、岩の間を下りた(写真⑤)。屋根の形はないのが、変だなと思いつつ、みんなに「この岩の間に屋根を造り上人が匿われた」と説明した。

写真⑤

 ここから急な尾根筋を下り、すぐに緩くて広い尾根道となる(写真⑥)。両側斜面とも落葉広葉樹林がびっしり広がっていた。虎子山の稜線とは違い、樹林は大きなコナラやクヌギなどが多く、重量感が増すが、明るい陽光がうれしい尾根歩きだった。高度で300mほど下った地点で西側斜面を下り、国見林道に降りた。程よい天候と麗しい落葉樹林内歩きをたっぷり味わい駐車地に戻った。

写真⑥

 冬の落葉広葉樹林に感銘しているうちに、生態学者の今西錦司博士の文章を思い出した。(以下は一部略した一節)

全国の落葉広葉樹林が、スギやヒノキの針葉樹林となってしまう。そうなると、なにがいちばん困るか、それは野生の動植物たちなのである。…昆虫ばかりではなく、サル・シカ、イノシシ・カモシカなども、やはりこの落葉樹林があってこそ初めて生活できる。単純林になったら、かれらも又草木や昆虫とともに、その生活の場を奪われる。

 ようやく、自然の保全ということが叫ばれ出したが、対象の自然は、もっぱら原生林に絞られているようだが、全国にひろがった落葉広葉樹林の保全を考える必要がある。今までこの自然を保護してきた炭焼きにかわる、なにかうまい利用法を見つけ出さねばならない。

今西錦司全集 第9巻・1971年

 50年前に今の森林の変容を正確に予言している。頭が下がる思だ。

 私が楽しんできた落葉広葉樹林は人工林と原生林の間に位置する「二次林」であろう。人による伐採や自然災害などで木が倒れると株の横から芽が出て成長する萌芽更新により再生した林を言う。尾根筋から見渡すと美束一帯の県境筋の山肌は茶色一色が多い。落葉広葉樹の二次林であろう。かつて村人が炭焼きや農業資材に樹木や芝草を搬出するために行き来した山。今、資材利用はなくなりたまに登山者が入るのみとなった。旧春日村の春日地区の総面積の93%が民有林である。その内、人工林ではない天然林は56%の5539haを占める。これには常緑広葉樹林も含まれるが、多くは落葉広葉樹林だろう。春になれば、芽吹いた新緑の天蓋が広がる。その下を歩く楽しみが待っている。

 帰宅後、ネットで鉈ケ岩屋を検索して冷や汗、だくだく脂汗。私が「ここが岩屋だ」と皆に語った二つの岩ではなく、そのすぐ東側数10m先にあったのだ。大岩の屋根の下に小さな新しい木製のお堂が安置されている、そうだ。雪で地表は覆われているので、岩屋への分かれ道が隠れていた。二つ岩の上に屋根を造って安置した、などと皆に語った。自戒し、ご容赦を乞う。勝手な都合のいい、根拠のない判断は私には常に起こり得る。完

<注> 鉈ケ岩屋
 教如上人(1558-1614)は関ケ原の戦いの前に東軍の徳川家康と近かったため、西軍の石田光成勢から狙われた。大垣の寺に逃れていた上人を春日の信者たちが山中のこの岩屋に匿って、水や食料を運び支援した。東軍勝利の後、晴れて京都に帰還した。

<ルート図>

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コメント

  1. てる より:

    とらす山の投稿うれしく拝見させて頂きました。
    昔懐かしいやまです。
    皆様に活躍を期待しております