大垣山岳協会

富之保4山、森の自然に遊び学ぶ 2021.10.23

水晶山(関)

【 個人山行 】
ナガザコ(569m Ⅱ△)、水晶山(546m △なし)、点名水城(452m Ⅳ△)、点名祖父川(445m Ⅲ△)
鈴木 正昭

 関市富之保の水成(みずなり)からナガザコ(569m△Ⅱ・点名上河和)、水晶山(546m△なし)、点名水成(452m△Ⅳ)、点名祖父川(445m△Ⅲ)の4つの山を巡ってきた。関市と美濃市の市境界の尾根筋には覚悟したやぶはなく、自然の遊歩道のようだった。鼻歌交じりのサクサク歩行。そして江戸時代中期から尾根上に立つ地蔵様の微笑みの表情。心に染みる山歩きでした。

  • 日程:2021年10月23日(土) 
  • 参加者:単独
  • 行程:
    • 自宅6:35⇒国道41号⇒七宗役場⇒県道64号⇒県道58号⇒北条峠⇒県道58号⇒津保川中学⇒県道63号⇒関市・水成から水成林道⇒駐車地(標高約220m)
    • 出発8:50→9:20水晶山登山口→9:45人口重心地点→10:25ナガザコ→11:30水晶山→11:50登山口への分岐→12:30点名水成→1:00石のお地蔵様→1:30・480m分岐ピーク→2:10点名祖父川→2:35・480mピーク→3:35中電富之保分岐線鉄塔→4:10水成林道出合→4:15駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:苅安

 手頃な低山で歩きやすいやぶの薄い道なき尾根歩きをしよう。ひそかに得難い発見を期待して。私の最近の山行スタイルだが、今回もその典型のようだ。津保川の支流水成川沿いの水成集落から川沿いの水成林道を詰めて、途中の路側空き地に駐車。右岸尾根から下山時のこの辺りに降りてくる予定だ。鬱蒼とした薄暗い人工林内の林道を歩き出す。堅固な舗装林道が水晶山登山口まで続いている。

 登山口からは広い谷間の急登が始まる。薄いが登山道は明確。標高約150m上がり、水晶山への直登コースと分かれてトラバース道に入る。右側が切れ落ちている。道は各所で途切れ、油断はできない。やがて尾根道と合流。中電下呂富之保線鉄塔6号から長良川沿いの郡上市美並町の街並みが見える。そこから小さなコブを越えた先にナガザコの2等三角点があった(写真①)。眺望ゼロ。

写真①

 ナガザコの山名は長いサコ(小さな谷のこと)、つまり長い谷の奥の山という意だと、「続岐阜百山」にあった。水成の人に聞くと、そうは呼んでいないらしい。点名の上河和は美濃市の地名だから美濃市側からの山名だと推測する。

 ナガザコから関・郡上市境の尾根を戻る。やがて尾根上に鋭い刃にように尖った岩塊が連なる光景が現れる(写真②)。これが水晶山の山名の発生源であった。これらの岩々には水晶がふんだんに含有されていて、昔は麓の集落からキラキラ光るのが見えたという。入山者が金づちでたたき割り持ち去りつくして久しいという。私も岩々に登り点検したが、黒いコケが覆うばかりで光るものは皆無。市界尾根から100mほど北西の水晶山山頂は小さな山名板が一つあるだけの5mほどのコブ。ここも眺望なし。

写真②

 市界尾根に戻り、これを忠実に南下する。驚いたことに、尾根上にやぶはほとんどない。踏み固めたかのような道筋がどこまでも続いている(写真③)。しかも、小さなピークごとに巻き道がついている。もちろん、テープ類や道標類は全くない。尾根の東側はヒノキ林だが最上部は広葉樹が茂り、西側は広葉樹二次林しか見えない。ふわふわの落ち葉の堆積の上をどんどん進む。2,30mごとにある市町村境界標の古い杭が頼りになる。人工物はほかに1カ所でさびたワイヤーロープがあっただけ。50年ほどまえの山林皆伐時代に使ったものだろう。

写真③

 まっすぐの尾根といっても、わずかな屈曲はある。左右の樹林が茂り、遠方への眺望はほとんどないので、尾根筋を間違えやすい。コンパスと地図を離さずに進む。距離の割には時間を食う。やがて真新しい様子の4等三角点水成に達した。その先で木枝のやぶが現れ、潜り進むと、前方に赤テープが三角形状に張ってある。樹林調査かなと思い、近づくと大きな松の木の下に高さ50㎝ほどの石のお地蔵様が立っていた(写真④=下は拡大写真⑤)。像の横には「寛延元年十一月 水成」の碑文が読めた。1748年の創設であった。思わず、ひざまずいて手を合わせた。像の前には青い湯飲み茶わん一つ。枯葉の切れ端が入っていた。

写真④
写真⑤ 拡大写真

 夢のような尾根筋遊歩道歩きは約480mのピークで終わった。以後薄いやぶが続き、市境尾根を離脱して祖父川右岸尾根を下り点名祖父川に着く。尾根上の踏み跡のど真ん中に頭を少し出していた(写真⑥)。

写真⑥

 この後、若干のお粗末しくじりの巻。480m分岐ピークに戻り、北東尾根を下る計画だった。下り始めてすぐに東に向かう尾根に迷い込み、方角違いに気づき軌道修正、出会った中電馬瀬北部線の巡視路を伝い急斜面を降りる。3か所の鉄梯子を下り荒れた沢筋に降りた。巡視路は荒れ放題で一部消失していた。ドローンやIT技術の進歩で人による巡視は不要となったのだろうか。水成林道に出たらすぐ上方に私の車が見えた。

 市界尾根に立つお地蔵様について帰宅後、ネット検索すると「美濃一人」さんの古道探しのブログに出ていた。昨年の9月と10月の2回お地蔵様を確認している。氏の山行調査によると、美濃市の上河和から古道(歩道)が市界尾根を跨いで、水成林道に繋がっていたという。地蔵様の地はその峠にあるわけだ。地蔵様は水成林道出合にも現存しているというが、私は見逃している。

 水成集落最奥に住むNFさん(71)にお聞きすると、お地蔵様への古道は昔、何度も通った。林道沿いの地蔵さまは今でも健在。水成の人は昔、この道を通り美濃市の上河和へ用事で、その先の洲原神社にお参りに往来したのだと語った。

 かつて小高い尾根の両側の集落間を結ぶ歩道が尾根を越えていた。峠に道標として、道中安全を祈って水成の人達が建てた石の地蔵様。過去に美濃の山内で何度も見てきたお姿。

 今の豊かな世を実現した精神的な支えとして、私たちにとって大切な文化遺産なのではないか。目を細めてほほ笑む地蔵様のお顔を思い出すと、今でも衆生の安全を祈ってくださっているように思える。

<ルート図>

発信:10/27

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